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三又又三、コロッケからもらった芸名「ハムエッグ」にトホホ
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2020.03.16 11:00 最終更新日:2020.03.16 11:00
ドラマ『3年B組金八先生』(TBS系)の金八先生のモノマネでおなじみの三又又三(52)。三又はビートたけしの弟子になる前、コロッケの付き人時代があったという。その当時の話を聞いた。
――三又さんは岩手出身ですが、何をきっかけに東京に出てこられたんですか?
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三又 東放学園という放送専門学校のパンフレットに『風雲!たけし城』(TBS系)でバイトができると書いてあったので、その学校に進学したんです。それですぐにたけし城のバイトに入って、たけし軍団にそのまま潜り込もうと思ったんですよ。
でも、たけしさんは全然現場に来ない。浅草キッドさんやキッドさんより下の人が泥まみれになりながら番組のシミュレーションをやっているのを見て、「未来がないな」と感じて。それで学校も1年もたずにやめて……。
――あきらめるのが早いですね。それでどうしたんですか?
三又 『平成名物TV』(TBS系)に「出て来いお笑い君」という素人参加の勝ち抜きネタコーナーがあったんです。それに高校の同級生とCMCというコンビ名で出たんです。そのコーナーで5週勝ち抜いて初代チャンピオンになったのが今のさまぁ~ず(当時バカルディ)です。
だけど俺たちは5週目で負けちゃって、その番組も終わって。それで友達と「ああ終わったな。どうしよう?」とか言ってたら、当時ウッチャンナンチャンやダウンタウンが出演していた人気の深夜番組『冗談画報』(フジテレビ系)から出演依頼が来て。
――『冗談画報』といえば若手芸人がみんな出たいと思っていた番組ですよね。すごいですね。
三又 それでフジテレビにネタ見せに行ったら、リハーサル室に爆笑問題がいて「うわ~、爆笑問題だよ!」みたいな……。
――まだ素人ですし、そんな感じだったんですね。
三又 スタッフの前で金八先生がディスコでDJするネタをやったら大爆笑で、番組出演が即決まったんですよ。そのときは「あっ、俺、天才なんだな」と思って(笑)。いま考えたら、そこが一番の才能のピークだったような気がします。
――いや、早いですね! 素人時代にピークを迎えてどうするんですか(笑)。そこから仕事は増えなかったんですか?
三又 ライブの仕事は多少入りましが、テレビは全然で。同級生の相方もやめてしまって、どうしようかと思っていたんです。そうしたら、バイト先のライブハウスのオーナーがザ・ワイルドワンズの加瀬邦彦さんだったんですが、同じ事務所のコロッケさんを紹介してくれて。そのまま付き人をやることになりました。
――なるほど、コロッケさんの付き人だと、モノマネの勉強もできますね。
三又 いや、コロッケさんのライブは早替えが10回20回あるんで、その手伝いなんかをやってたので、それどころじゃなかったです。
――付き人時代にコロッケさんに芸名をいただいたんですよね。
三又 はい。ハムエッグという(笑)。コロッケさんが名前をつけてくれるときに「俺がコロッケだろ。定食屋でコロッケより高いのはダメだよな。となるとハムエッグか。よしハムエッグだ」って。
――値段で決まったんですか(笑)。
三又 そのときはまだ若かったし、ハムエッグという名前がイヤで。
――コンビのときはCMCというかっこいい名前でしたからね(笑)。
三又 自分でも修行期間は2年と決めてたんで、そろそろやめようと思って。でもコロッケさん夫婦のハワイ旅行があったから、「よし、ハワイ旅行に行ってからやめよう」と(笑)。
――最低ですね(笑)。
三又 旅行が終わってコロッケさんに「自分でやりたいです」と言ったら、「お前が真剣にそう思っているんだったら、がんばれよ」と言っていただいて。
俺の付き人の最後の日が地方公演だったんですよ。そしたらコロッケさんが公演終わりに自分のホテルの部屋にスタッフを全員集めて、「お前は俺のステージを2年間見てきただろ。それを一から全部やってみろ」って。
――卒業試験じゃないですか! 2年間の成果を見せろと。
三又 それで美川憲一さんや野口五郎さんとか全部やったけど、全然似てなくて(笑)。
――2年間何を見てたんですか(笑)。コロッケさんもがっかりだったでしょ。
三又 でも最後にコロッケさんが「お前は飲みの席でモノマネをやって重宝されるだろ。でもそれで終わるなよ」と言われたのは今でも覚えています。
――飲みの席だけで満足せず、ちゃんとプロとしてモノマネをやれ、ということですね。
三又 そうです。コロッケさんは俺の先をちゃんと読んでましたね(笑)。
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取材・文/インタビューマン山下
1968年、香川県生まれ。1992年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退。現在はインタビュアー・お笑いジャーナリスト