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カンニング竹山、2度の転機は「キレ芸の誕生」と「相方の死」
エンタメ・アイドルFLASH編集部
記事投稿日:2020.04.10 16:00 最終更新日:2020.04.10 16:00
4月7日放送の新番組『石橋、薪を焚べる』(フジテレビ系)で、カンニング竹山が「人生の2度の転機」を語った。
竹山は石橋貴明を相手に、焚き火の前で本音を告白。カンニングとして売れなかった時代、事務所をクビになりそうになったが、先輩のブッチャーブラザーズのリッキーが「俺が預かる」と面倒を見てくれるようになった。
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その後、500万円もの借金を抱え、芸人をやめようと思っていた時期、舞台で客から受けた罵声に「立てコラ!」などと言い返す客いじりを始めた。すると、舞台袖で見ていたリッキーから「いけるぞ。これは売れるぞ」と言われたという。そこで竹山は「キレ芸」を確立させ、ウケる怒り方を研究し、テレビにも出られるようになった。
石橋貴明から「一番つらかったときは?」と聞かれると、竹山は「相方が死んたとき」と返答。カンニングとしてブレイクして1年ほどたった2006年12月に相方の中島忠幸が亡くなった。竹山は当時のことを「ずっと不安で。お笑い芸人として何ができるんだろうって」と回想していた。
そんな時期に、放送作家の鈴木おさむから「ライブやりませんか?」と誘われる。竹山は当初、その誘いを断ったが、毎日そのことが気になり、単独ライブを決断。それが「カンニング竹山単独ライブ『放送禁止』」で、年1回のライブでは「中島の話は一切しない。その代わり、5年続いたら中島の話だけでやる」と決めていたという。
そうして5年目、「カンニングのお葬式」と題したライブをおこなった。「人が死んだことを笑いにするって相当悩みました」と苦悩を明かすが、そこからチケットが飛ぶように売れるようになった。
ウェブ「日刊SPA!」で、竹山は同ライブについて「カッコつけたことを言うと、カンニング竹山の軸は『放送禁止』なんです。あの舞台があるから1年間テレビ芸の仕事ができるんですよ」と明かしている。
発言のテロップもなく、ひたすら焚き火の前で語り合う『石橋、薪を焚べる』。その雰囲気だからこそ、竹山も知られざる素顔を話せたのだろう。