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ディーン・フジオカが語る人生の転機「9・11がなければ……」
エンタメFLASH編集部
記事投稿日:2016.01.30 06:00 最終更新日:2016.02.22 17:52
「10年前には考えられなかった、驚きというか、奇跡みたいな感じですね」
視聴率20パーセント超えを連発するNHK連続テレビ小説『あさが来た』。人気の一翼を担ったのが、五代友厚役のディーン・フジオカ(35)だ。
先週末に病死した“五代さま”の正体を本誌は緊急取材。日本語のほか、英語、広東語、北京語、インドネシア語を操る国際派で、香港、台湾、米国で俳優として活動してきた。
ディーンは1980年、福島県須賀川市で生まれた。
「小学、中学時代の長い休みは、ほとんど福島にいました。釣りをしたり、虫を捕ったり。自然のなかで遊ぶのが好きだったんです」
伸び伸び育った幼少期に国際感覚を培うことができたのは、IT関連の仕事をしていた父親の影響が大きかったという。
「父は日本人ですが、中国で生まれた人で海外出張が多く、お土産で海外の映画や音楽のビデオを買ってきてくれて。そのおかげで海外の文化を特別なものではなく感じられたのだと思います。家でも英語を教えてもらいました」
そんな彼が日本を飛び出したのは、高校卒業後。ITについて学ぶために米国・シアトルの大学に留学したのだ。
「とにかく、危ないところだと思いましたね。着いてすぐにキャンパスで殺人事件があったり、街で危険な体験を何度もしたので。自分の身は自分で守らなければと、肌で感じました」
IT関連の勉強をする大学生だった彼。転機は卒業を控えた時期に訪れた。
「卒業後もアメリカで働きたかったんですけど、9・11が起きたため、ビザの取得がすごく難しくなったんです。いろんな人たちがアメリカに残れなくなった。弁護士を雇い正当な方法で残ろうか、とも考えました。
けれど、大きな流れは変えられない。外に出ざるをえない流れなら、自分はアジア人だし、『アジアに行ってみよう』と」
着いた先は、中国の北京。2週間の滞在を経て、バックパッカーとして各国を巡るようになる。そして、香港滞在時にモデルとしてスカウトされた。
「完全にアルバイト感覚でした(笑)。そのうちコマーシャルの仕事をもらうようになって。向こうでは結構長い尺の、ショートフィルムみたいなものを撮るんです。そこで演技というものに触れて“パッション”を感じたんです」
2005年に香港で映画デビューし、翌年活動拠点を台湾に。2012年には中国系インドネシア人女性と結婚。以降、2013年に日本で映画の主演、監督を務め、2014年には全米ドラマに出演。
私生活では双子(男の子と女の子)の父親となり、『あさが来た』でブレイクを果たす。現在は東京に単身赴任中。「仕事があるところに住む」と、流れに身をまかせて始めた俳優業。
「心がけているのは、あまりリミットを作らないように、ということ。自覚していなかった“パッション”に気づけるのは、人からの指摘や提案があってこそですから!」
(週刊FLASH 2016年2月9日号)