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岩佐真悠子「ミスマガジン」同期の「一緒にやろうよ」で介護職に転身…苦労のなかで見つけた「工夫する楽しさ」

西田美歩(左)と岩佐真悠子は「ミスマガジン2003」で同期(写真・保坂駱駝)
岩佐真悠子が自身のInstagramで芸能界引退を報告したのは、2020年10月1日のことだった。16歳でデビューした直後からグラビア界を席巻し、女優としても着実に地歩を築いてきただけあり、コロナ禍の世相に与えた衝撃は大きかった。
「普通に、地に足を着けた生き方をしてみよう、というのが引退のいちばんの理由ですね。芸能界にいて、社会経験が圧倒的に少なかったんです」
コロナ禍で芸能界も大きな打撃を受けたが、それ以前から引退を考えていたという。
「やりたい女優の仕事と、事務所の方向性の違いだったりとか、自分の今後に思い悩んでた部分も多少はありました。スタッフの方に不満はなく、自分の自由な面を受け入れて好きにやらせてくれましたし、事務所を移籍したり、フリーになったりするのもやっぱり違うなって。当時はコロナ禍で、仕事が減っていたのは事実でしたが、生活のためにほかの仕事をしながら、それでいて芸能界にいることが、自分にできるとは思えなかったんです」
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岩佐は胸の内に抱える悩みを、親友の西田美歩に以前から何度か打ち明けていた。西田は、芸能活動を続けながらも、岩佐より先に介護職に就き、このころには専念しつつあった。西田が振り返る。
「家にいることや、会う機会が増えて、モヤモヤしてるんだろうな、というのはちょっと伝わってきましたね。そこで『介護の仕事は楽しいよ、一緒にやろうよ』みたいな話はしてたんですけど、真悠子は『じゃあ、やってみる』って言ってからの行動が早かったんです。もう派遣会社に登録したと聞いて、『よっしゃ!』みたいな(笑)。一緒の職業に就けるっていうのはうれしかったですね」
西田は、岩佐は介護職に向いているとつねづね思っていたという。
「体を使って仕事をするのが向いているのは、私たちの共通点。汗をかいた対価としてお金をいただく、お客様に満足していただく、というのが合っているんです。真悠子は性格的にけっこうわがままとか、生意気だとか言われることもありますが、まわりに気配りもできて、サービス精神が旺盛なんですよ」
■最初に働いたのは「いちばんしんどい」といわれる特別養護老人ホーム
岩佐は2003年に渋谷でスカウトされ、「ミスマガジン2003」グランプリを受賞し、瞬く間にブレイク。その際に、読者特別賞を獲得したのが西田だった。家が近かったせいもあり、2人は特別に親しくなった。同じグラドル出身でも、女優路線を歩んだ岩佐とバラドル展開の西田とは好対照で、逆にウマが合った。
2004年、岩佐はドラマ『Deep Love~アユの物語~』(テレビ東系) で初主演。ギャル系ルックスで人気を博し、『ゴッドタン』(同) や『さんまのSUPERからくりTV』(TBS系) といったバラエティ番組でも“生意気キャラ”で通した。「でも」と岩佐は冷静に振り返る。
「キャラっていうより、ただの生意気(笑)。斜に構えているクソガキで、若いころは大人をバカにしていました。小器用で、なんとなくできちゃうことが多く、調子に乗っていたと言いますか……。ファンサービス的なこともあんまりしてこなかったタイプですね。だからなのか、ドMなファンの方が多かったかな。握手会に来て、『殴ってください』みたいな(笑)」
『メイちゃんの執事』(フジテレビ系) や『ウェルかめ』(NHK、ともに2009年) といった話題のドラマで大役をまかされ、『受難』(2013年) など、映画でも主演。小悪魔的イメージからの脱皮を図っていた。しかしその後は次第に、自分の思うような役がつかなくなったという。
一方の西田は『めざましテレビ』(フジテレビ系) や『PON!』(日本テレビ系) でレポーターやお天気お姉さんを務め、深夜ドラマや独立系映画にも出演。舞台でも活躍した後、2017年に結婚。相手とは長く交際しており、互いに子どもを望んだが恵まれず、不妊治療のため仕事をセーブしようとした矢先、介護職と出会った。
「治療に影響がない範囲で働けるところを探して見かけたのが、近所のトレーニングジムのような施設。利用者とスタッフの間に垣根がなく、楽しそうでいいなと応募したら、ジムではなくデイサービス施設だったんです(笑)。兄も介護士をしており、抵抗感はありませんでした」
以来、6年になる。西田は訪問介護とデイサービスで働きながら、まず初任者研修の資格を取ったが、次の段階の介護福祉士実務者研修(旧ホームヘルパー1級) を先に得たのは岩佐だった。やると決めた以上、それだけ徹底的に取り組んだのだ。
岩佐が最初に働いたのは、要介護3以上の方を対象とする「特別養護老人ホーム(特養)」。認知症や寝たきり患者の比率は高い。
「まず派遣に登録したのは、コーディネーターにどうしたらいいかを相談してみたかったというのがあります。そうしたら、『最初にいちばんしんどい、きついといわれているところでやっておけば、あとは何がきても大丈夫』と言われました。そこで仕事をぜんぶ覚えてしまえば、たしかに、ほかで困ることはあまりないんですよね」
岩佐はそこで3~4カ月働くが、コロナ禍など諸事情で辞めざるを得ず、「とりあえずひととおり経験したい」と、訪問介護とデイサービスのかけ持ちの1年を経て、在宅復帰を目標に心身の機能回復を図る「介護老人保健施設」でさらに約1年。そしていまは「有料老人ホーム」で働いている。特養でみっちり仕込まれたので、仕事も早く覚えられたという。
「当初はまったくの未経験だったため、先輩の後について回り、利用者とコミュニケーションを取ることがメインでしたが、すぐにトイレでの排泄介助や、おむつ交換などもするようになりました。その後、2人がかりで寝たきりの方を抱えて、お風呂用のストレッチャーに移して入浴介助とか。
たいへんだなぁと思ったんですけど、新しいことを覚えることは楽しかったですね。それに、小さな工夫をする余地がたくさんあるな、と感じました。指導してくださる方と私では、体格も力も違うので、同じようにやっているつもりでもうまくいかないところを、体の使い方を考えたりして、自分なりにスキルアップできたんです」
岩佐は芸能のキャリア後半、何作かの主演映画で壮絶なアクションに挑んだ。そんな経験が、着実に介護にもフィードバックされている。「台本があっても台本どおりじゃない」現場だったからだ。
「ポージングだったりアクションだったり、そのときどきでやってきたことは、けっして無駄にはなっていないだろうなと思います。でも最初のうちは、1日の業務を終えて家に戻ると、座ったら立てないぐらいでした。体も頭も使うので、もともとそんなに食べるタイプではなかったのが、めっちゃ食べるようになりましたね(笑)」
芸能界を引退後には結婚、出産を経験。現在は子育てをしながら介護現場で週5日働き、西田が2024年に先んじて取得した、国家資格の介護福祉士の受験に臨む予定だ。
■「介護の仕事って楽しいよね」を動画やイベントで発信
こうした盟友の奮闘を励みに、西田も新天地を開拓する。2023年より、介護士の立場でYouTubeチャンネルを立ち上げ、やがて「介護タレント」を名乗るようになる。岩佐も、折にふれて西田の配信する動画に出演。そこで2人が訴えるのは、これまでの介護のネガティブなイメージを払拭する、明朗快活なメッセージだ。西田が語る。
「つらいこともいろいろあるんですけど、真悠子とお酒を飲みながら話すのは、『介護の仕事って楽しいよね』ってことに尽きるんです。『こんなおもしろいできごとがあったよ』とか、“介護あるある”トークとか。たとえば、利用者さんとの会話がほぼ『アレ』で成立しちゃう、といったことやら(笑)。利用者さんの介助をしていると、私たちのいろいろなところをつかんでくることがあるんですけど、この間なんて、岩佐は鼻をつかまれたんですよ!」
岩佐も、介護現場の実態が世間にしっかりと伝わっていないと感じている。そこで2024年末、介護業者が主催するトークイベントに西田とそろって出演し、介護士として初めて、公の場に登場した。
「そのときは2時間ありましたが、それでもやっぱり話したいことを話しきれないね、っていう思いが強かったんです」(岩佐)
そこで直後から、2人で会場を探し、独自に観衆を集める手作りのトークイベントの開催を始めた。4月29日の東京・蒲田での開催が、2回めとなる。
「気を使って話すのではなく、ちょっとくだけた感じで、楽しく介護現場を知っていただけたらなって思っています」(西田)
「いま発信される情報はマイナス面が注目されて、『介護士になりたいな』という意欲を持ってもらうべきなのに、むしろ介護から離れていく人のほうが多いと思うんです。しんどいことは、どんな仕事をしても絶対にありますよ。ぶっちゃけ、芸能界もよっぽどしんどかったわ、って思うんです。真冬に水着で吹雪のなか、グラビア撮影をやったりとかしましたから(笑)」(岩佐)
ハードな環境で、競争も過酷な芸能界で、生き抜いてきたからこそ、いまがある。2人の語りには、説得力があふれている。
取材/文・鈴木隆祐