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藤井聡太二冠「高校中退」同じ道を選んだ先輩棋士たちの“その後”
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2021.02.23 20:00 最終更新日:2021.02.23 20:00
藤井聡太二冠(18)が、名古屋大学教育学部附属高等学校を1月末に自主退学していたことがわかった。卒業まであと1カ月半だっただけに、「なぜ?」と思う人も多いだろう。だが将棋関係者は、この決断をごく自然に受け止めている。
実力至上主義の将棋界において、学歴は不問だ。昭和までは、棋士は中卒が普通だった。高校進学は「プロになれない者の保険」ともいわれていた。藤井二冠は14歳でプロになったが、多くの棋士は10代から20代前半を、プロ養成機関である奨励会で過ごす。そこでは1分1秒でも多く将棋に時間を注がねば、プロにはなれないと言われる。受験や高校での勉強に時間を割く余裕はないのだ。
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だが、厳しい入会試験を突破して奨励会に入っても、その中からプロになれる者は2割に満たない。多くの者は青春のすべてを将棋に捧げながらも、夢破れて去っていく。子供たちの将来を案じて、両親が高校進学を勧めるのは当然だろう。
平成以降は奨励会員でも高校進学が普通になっている。だが、将棋の勉強に専念するために、高校を中退する者は珍しくない。これまで取材してきた中から、棋士を目指す者が高校を辞めたときのエピソードを紹介する。
現在、トップ棋士の一人である久保利明九段(45)は、高校を1年で中退した。久保はこれまでタイトル獲得7期、順位戦最上位のA級に13期在籍という実績を持つ。
久保は高校入学と同時に奨励会三段リーグ入りをはたした。30数名で半年間のリーグ戦を行い、原則上位2名のみがプロになれることを許される。久保が在籍した当時、関西には、将来を嘱望される3人の会員がいた。久保と矢倉規広(現七段)、立石径(途中退会)である。矢倉、立石は久保より1学年上だが、子供のころから将棋大会で競いあったライバルだ。
その矢倉と立石が、将棋に専念するために高校を2年で辞めた。久保は自分が学校にいる間に、2人が将棋の研究に専念する姿を思った。
「このままでは離されてしまう……」
授業も上の空で、頭の中に詰将棋の図面が浮かんでくる。「このまま高校に通っても仕方ない」と思って、父親に辞めたいと話した。しかし息子の将来を思い、「卒業はしておけ」と言われる。久保は迷った末に、師匠である淡路仁茂九段に相談した。
「久保が『将棋の勉強をする時間がない』って言ってきたんですよ。高校を辞めたいけど親に反対されていると。僕も両親の気持ちはわかったんやけど……。あの子だけですね、僕がお父さんに会って学校を辞めさせてくれって頼んだのは」
じつは師が父を説得してくれたことを、久保は当時知らなかった。あるときを境に両親の態度が変わったので不思議に思っていた。師が直談判をしてくれたのを知ったのは、プロ入り後である。久保は言う。
「いまは自分も弟子を取っています。でも、どんな有望な子でも将棋のために高校を辞めさせてくださいと両親に言える自信はない。その子の人生がかかっているわけですから」
その後、久保は17歳でプロ入りをはたす。矢倉も20歳でプロ入りしたが、立石は17歳で奨励会を退会した。その後に神戸大学医学部に入学し、医師としての道を歩んでいる。
現在の将棋界4強の一人、永瀬拓矢王座(28)は高校をわずか2日で辞めている。永瀬王座は、将棋に必要のないものを切り捨てるストイックさがあり、棋道に邁進する姿から「軍曹」のニックネームを持つ。また、藤井聡太二冠が唯一、研究会をしている相手としても知られている。
永瀬王座の両親は川崎市でラーメン店を営んでおり、以前に伺って父親に話を聞いた。
「将棋のことだけは、いつでも一人で、どこへでも行ったな。3人子どもがいるのですが、拓矢だけは本当に手がかからなかった」
他県で行われる将棋合宿には、小学生は保護者が同伴するが、永瀬は一人で行っていたそうだ。高校の退学は、両親に相談はなく事後報告だったという。
「自分には必要ない。通学にかかる時間に将棋の勉強をしたほうがいい」
そう告げられた両親はあっけにとられたという。
一方で、永瀬と子供のころから将棋大会で対戦し、研究会も行ってきた高見泰地七段(27)は、高校を辞めることに対してこう話す。
「自分には辞めるまでの勇気はないです。もしプロになれなかったら終わりじゃないですか。そこまでの自信を持つのは難しい」
高見は高校卒業後、立教大学に進学した。プロデビューは18歳。対局と授業の両立は厳しく、大学では1年留年もした。その間に、ライバルたちが将棋の勉強をしていることに焦りを感じたが、「この時間は将来必ず生きてくる」と信じて卒業まで通い続けた。2018年には初タイトル「叡王」を獲得している。
藤井二冠の師・杉本昌隆八段(52)は、高校に進学していない。この世代の棋士は、中卒組と進学組が半々くらいだったといわれる。杉本八段の師である故・板谷進九段も、「高校は必要ない」という態度だったという。
「師匠は進学に反対でした。でもそれは、私が棋士になれると期待されているように感じました」
3年前に杉本八段に取材したとき、藤井二冠の高校進学についてこう語っている。
「藤井の高校進学は、人生という意味でいい選択だったのではないでしょうか。そこで普通に付き合ってくれる友人を作るべきです。『今日のお弁当のおかず何?』とか、他愛もないことを話せる関係は大切だと思います。将棋界では彼は特別な存在として見られてしまいますから。いるだけで場の空気が張り詰め、これからこの世界に入ってくる後輩たちは距離を置いてしまうでしょう。それはトッププロの宿命です」
20年秋に藤井二冠に取材したとき、大学進学について尋ねると「それは考えていないです」とはっきりと答えていた。高校を辞めることまで決めていたかはわからないが、王位・棋聖のタイトルを獲得し、責任感とともに将棋により打ち込む決意を固めていたのは間違いない。
師は言う。
「藤井にとって大切だったのは、卒業ではなく、そこで過ごした時間だったはずです」
今後、棋界を代表する棋士として孤高の道を歩むであろう藤井二冠。彼にとって、高校生活が与えてくれた思い出が、支えとなる日が来るかもしれない。
文・野澤亘伸
1968年栃木県生まれ。上智大学法学部法律学科卒業。高校時代は将棋部部長を務め、団体戦で県大会準優勝。1993年より、写真週刊誌「FLASH」の専属カメラマンに。将棋に関する著書に『師弟 棋士たち魂の伝承』(光文社)がある。最新刊『絆 棋士たち師弟の物語』(日本将棋連盟発行・マイナビ出版販売)が3月11日発売