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「人の役に立ちたい」と入った自衛隊を辞めイタリア料理の道へ

ライフ・マネー 投稿日:2017.01.27 13:00FLASH編集部

「人の役に立ちたい」と入った自衛隊を辞めイタリア料理の道へ

『写真:AFLO』

 

 女のひと言は、ときに男を大きく変える。まして、やりがいを見出せない職場にいたら…。今回は、それで夢をつかんだシェフの話である。

 

 杉本純さん(37)の名刺を読み解くのは難しい。特に「オッタントットダイナー オーナー」と車のイラストに描かれた「88」の意味がわからない。じつは杉本さん、移動販売のイタリア料理店を経営している。「オッタントット」とはイタリア語で「88」の意味ということだ。で、それって何? 末広がり…?

 

 杉本シェフは小柄な体にエネルギーが詰まった感じの、純朴で優しそうな青年タイプだ。京都出身だが、琉球大学で農業を学んだ。人の役に立って、実践的な勉強をしたいということだったが、卒業後は農業とはまったく関係のない自衛隊に入った。確かに人の役に立って実践的ではあるが、またなんで?

 

「高校生のとき地下鉄サリン事件があり、自衛隊の化学防護隊が活躍したんですね。それを見て、人の役に立っているのがいいなと思いました。沖縄で農業をするのは難しそうだったし、体を鍛えることが好きだったので、自衛隊を選びました。でも本当は、真面目に就職活動をしていなかったせいです」

 

 受験の結果、陸上自衛隊の準幹部候補生に合格。化学防護隊は400人に2人という難関で、入れなかった。半年間にわたる訓練期間を経て、仙台の駐屯地に配属。武器修理の専門部署で小銃担当だった。

 

 当時の自衛隊はのんびりしていて、実地訓練があれば小銃の修理をするが、あとは決まった仕事がなかった。訓練期間中の充実した日々と比べて、この状態を今後30年も続けるのはどうかという思いが、日増しに強くなっていった。

 

「配属から半年後、農学部の1年後輩のガールフレンド、今の妻から電話があり『自衛隊、まだ続けるの?』。彼女は卒業して群馬県の農業関係に就職することが決まり、そのことも自衛隊を辞めようという思いを強めました。直属の上司に転職したい旨を伝えたとき、『すぐ辞めるような奴なんてどこも雇うわけがない』。そう言われて、かえって意地になったところもありました」

 

 彼女の職場の近くでと、早速群馬県内の仕事を探し始めた。やりたいと思ったのは飲食業。なんでもよかったが、五十音順の募集リストの初めのほうにイタリアンレストランがあった。いい加減だったが、それがその後の人生を決めた。群馬県内で9店舗展開する老舗イタリア料理店に就職できたのである。

 

 そこで3年間イタリア料理の基礎を学び、さらに安中市で3年間腕を磨いた。この間に結婚もした。その後は一人娘の奥さんの実家近くに移り住み、東京近郊で7年半イタリアンの料理人を続けた。

 

「最後の店では店長でしたが、店が会社組織になって、料理だけでなく、労務や経費などの管理をしなければならなくなりました。料理人として組織の運営に関わるような生き方もあるかなと思いましたが、やはり、料理を作って直接お客様と向き合う生き方を優先したいという思いのほうが強くて…」

 

 独立を考えて36歳のときに最後の店を辞めた。しかし独立といっても、東京では競合店が多いうえに家賃が高く、レストラン経営は難しい。たまたま観た映画『シェフ 三ツ星フードトラック始めました』がヒントになった。

 

 キッチンカー!!
 早速、経営が成り立つのか調べた。最大の魅力は開業資金が少なくてすむことだ。「店は来る客を待つだけだが、キッチンカーは求める人の所へ行って、温かい料理を出すことができる」。業界の先輩の言葉が背中を押した。

 

 特注車の手配、各種認可、出店場所の確保等々をすませ、2016年5月に営業開始。キッチンカーでは珍しい「ご飯とイタリアン」のランチだ。オフィス街や催し会場がおもな出店場所だが、リピーター客も増え、明るい兆しが見えてきた。

 

「料理に関しては移動販売とレストランに違いはないし、上も下もない。そのことをわかってもらえるような、おいしいキッチンカーにしたい」

 

 ところで名刺の「88」は米の意味だとか。なるほど米の字を分解すると八十八だ。それだけ米にこだわりがあり、福島の農家直送の五分づき米をひと手間かけて炊いている。これがリゾットみたいな食感でイタリア料理によく合う。付け合わせの野菜にもこだわっている。

 

 あと2年、40歳までには形にして次の目標に進みたいという杉本さんの夢を乗せて、キッチンカーは今日も走る。

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