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医師が実名で語った「私のがん体験」膀胱の中に小さなバルーンを/横倉義武医師
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2021.11.02 16:00 最終更新日:2022.09.16 20:28
自身の病巣を冷静に診る医師としての顔、ショックで怯える “患者” としての顔――。がんになった医師たちが、その体験を赤裸々に語った。病院や治療法をどう選んだのか、苦しみをどう乗り越えたのか。そして、どんな “がん名医” が彼らを治療したのか!?
74歳で膀胱がん(ステージ0)になった、社会医療法人弘恵会理事長の横倉義武医師(77)。
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「『理事長だけが検診を受けていません』。そう病院の職員から叱られたのは、2018年の6月最終週の月曜日のことでした。なぜ覚えているかというと、その直前の週末、日本医師会会長選があったからです。選挙を終えて、ようやく私が運営するヨコクラ病院へ顔を出したときでした」
横倉医師のがんが見つかったのは、4期めとなる日本医師会会長に就任した直後、74歳のときのこと。病院のある福岡と東京、全国を飛び回る多忙な日々で、その年は受診が少し遅れた。
「検診を受けると、膀胱の中に小さな隆起を認めたのです。すぐにCT検査をしました。そして、久留米大学病院の泌尿器科で膀胱鏡の検査をしたところ、がんと診断されました。むしろ前立腺肥大を心配しており、体調不良や血尿がなかったこともあり、まったくの予想外でした」
初期だったこともあり、ショックはなかったという。
「それよりも、現職の日本医師会会長であったため、できるだけ早くそれも短期間で治療をしなければいけないという気持ちが勝っていました」
ただちに母校である久留米大学病院で、膀胱鏡下の切除術をおこなった。
「担当医の皆さんは、私の大学の後輩にあたるわけですが、立派でしたね。私の治療にあたったのは、主任教授の井川掌(つかさ)先生、准教授の末金茂高先生、講師の西原聖顕医師で、実際に執刀してくれたのは西原先生でした」
5日程度の入院ののち、公務に復帰。当初は膀胱がんについては公表せず、周囲に術後だということを悟られることもないほどだった。
「とはいえ、術後の3日間はとてもつらかったですね。導尿のため、小さな風船(バルーンカテーテル)を膀胱の中で膨らませ、入れっぱなしにするのです。
痛みがありますし、行動も制限されるのですが、主治医から『大丈夫ですか』と声をかけられると、安心しました。あらためて、“患者に寄り添う医療” をさらに推進しなければという気持ちになりました」
日本医師会会長として、かかりつけ医を持つことや、がん検診、学校教育におけるがん教育の推進にも力を入れ、4期にわたる会長の任務を終えた。
「現在は福岡を拠点に、地域医療に取り組む日々です。術後は検診を続けてきましたが、2020年9月の検査で、尿に異形細胞が出ていることがわかり、入院して検査したところ、わずかにがん細胞が残っていました」
BCG治療(弱毒化した結核菌を用いたワクチン)でがん細胞はなくなり、その後も検診を続けているという。
「今年の4月の検査でもまったくがん細胞は認められず、ホッとしています」
【私を救ったがん名医】
久留米大学病院泌尿器科・井川掌医師ほか
取材/文・吉澤恵理(医療ジャーナリスト)