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なぜ日本の大学はダメになったのか…「教養部廃止」「大学院重点化」で企業から見捨てられた!

ライフ・マネー 投稿日:2021.11.08 20:00FLASH編集部

なぜ日本の大学はダメになったのか…「教養部廃止」「大学院重点化」で企業から見捨てられた!

 

 日本の大学進学率は、1950年代は10%程度、1960年代は20%程度でしたが、1980年代後半から1990年代にかけて40%程度にまで上がります(現在は60%弱)。学生の保護者を含めて多くの人々が大学に大きな関心を寄せ、その内情を知る立場になったわけです。

 

 そこに、バブル崩壊後の経済の停滞が重なりました。それまで産業界では人材育成も研究開発も個々の企業が多くを担っていましたが、経営状況が悪化するとその余裕がありません。

 

 

 そのため、すぐにビジネスに直結するような技術開発や即戦力として使える人材の供給を大学に求めるようになりました。すると当然、産業界も「大学で何が行われているか」に注目するようになります。

 

 そうやって社会の目が大学に注がれるようになった結果、大学がそれまで放置されていたことが問題視されるようになりました。

 

 出席しなくても単位が与えられる授業のあり方も、その1つ。バブル期には、勉強せずに遊んでばかりいる大学生を揶揄して「大学のレジャーランド化」などといわれたこともあり、「大学教育は役に立っているのか?」という疑念が生じました。

 

 もっとも強い批判にさらされたのは教養部です。即戦力の人材を求める産業界にしてみれば、大学には専門分野の教育を期待したい。理系も文系もいっしょに4年間のうち2年間も一般教育を受ける教養部は、「役に立っていないのではないか」と見なされるようになりました。

 

 その結果、教養学部の名称で存続させた東京大学と、東京医科歯科大学をのぞくすべての国立大学が教養部を廃止。これが、現在まで30年にわたって続いてきた大学改革のスタート地点だったといえるでしょう。

 

 教養とは、何か難しい問題に直面したときに、解決のヒントや指針などを与えてくれる「引き出し」のような知識や経験です。そういう引き出しがたくさんあるほど、人は自分で考えて行動することができるのです。

 

 たとえ研究職として企業に入ったとしても、組織の中で生きていくには、専門知識だけでは十分ではない。どんな種類の課題が与えられるかわからない会社の仕事で役立つような能力ーー「会社員」としての能力ーーは、専門課程ではあまり身につきません。

 

 つまり、企業が求める即戦力を育成するために、教養を軽視して専門のカリキュラムを重視した大学改革は、実のところ結果的には企業のニーズに合っていなかったという皮肉な結果を生んだのです。

 

■大学院重点化政策の失敗

 

 一方、大学院生を増やす大学院重点化政策は、教養部の廃止と同様、1990年代初頭から始まりました。

 

 文部科学省の学校基本調査によると、国公私立を合わせた大学院の在籍者数は、重点化に着手する前の1985年度は6万9688人。それが20年後の2005年度には25万4480人と、およそ3.5倍にまで増えています。

 

 博士課程の在籍者は、1985年度が2万1541人だったのに対して、2005年度は7万4907人になりました。その中から、毎年1万5000人もの「ドクター」を世に送り出す状況になったのです。

 

 これが「高学歴ワーキングプア」とも呼ばれる不幸なポスドクを大量に生み出しました。それも当然で、そもそも大学には増加したドクターを受け入れるだけの終身雇用ポストなどありません。それは最初からわかっていた話ですから、彼らを受け入れるとすれば企業しかなかったのです。

 

 ところが企業はドクターの雇用に消極的。ある調査(2007年度「民間企業の研究活動に関する調査報告」)によると、主要企業の6割は博士をほとんど(もしくはまったく)採用しておらず、7割以上が「そもそも博士を採用する必要がない」と答えたそうです(元村有希子「大学院重点化は一体なんだったのか」)。

 

 博士号まで取得した人間となると、自分の専門性を活かして勝負したいという気持ちが強くなります。

 

 企業のほうは、実はそれが邪魔くさい。大学に求めていた「即戦力」とは、せいぜい「自分の頭で考えられる人材」でしかありません。高い専門性を持つ人材は、むしろ会社のいうことを素直に聞きそうもないイメージがあるので、敬遠されるのです。

 

 どうして、博士はそんなイメージを持たれてしまうのか。「産学協同」的なあり方を嫌い、知の上流に鎮座する権威として振る舞いたがる学術界全体の姿勢が、その根っこにあるのだと思います。

 

 高尚な「真理の探究」や「学問の自由」を会社に持ち込まれたのでは、役に立つイノベーションなど起こせないだけでなく、会社の生産性さえも低下してしまう。そんなふうに感じるのではないでしょうか。要するに、アカデミズムがまとっている空気は、日本の企業風土との相性が悪いのです。

 

 かつて、社内での研究開発に大きな資金を投じる余裕のあった日本企業には、“野蛮” な研究文化があったはずです。

 

「面白い」と思ったら、失敗をおそれずにとにかくやってみる。ソニーやホンダなど、革新的な製品を生み出した企業は、決して「選択と集中」で効率よくイノベーションを起こしたわけではないでしょう。無駄が出るのは承知のうえで、野蛮なチャレンジを重ねていたに違いありません。

 

 ですから、文科省や大学側が「野蛮な研究マインドを持つドクターを産業界にどんどん送り込みます!」とアピールすれば、企業側もその雇用を積極的に考えたはずです。

 

 ところが大学側にはそんな自覚がなかったために、大学院教育の専門性の高さばかり強調してしまいました。そのため企業側も「専門性が高いだけの院卒は要りません」とそっぽを向いてしまったのではないでしょうか。

 

 

 以上、酒井敏氏の新刊『野蛮な大学論』(光文社新書)をもとに再構成しました。大学の持つ大きなポテンシャルを認めることで、日本の学術の立て直しを目指します。

 

●『野蛮な大学論』詳細はこちら

 

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