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食堂のおばちゃんの人生相談「12年間勤めた食堂を辞めて、寂しい」
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2021.11.12 11:00 最終更新日:2021.11.12 11:00
「食堂のおばちゃん」として働きながら執筆活動をし、小説『月下上海』で松本清張賞を受賞した作家・山口恵以子。テレビでも活躍する山口先生が、世の迷える男性たちのお悩みに答える!
【お悩み/元食堂のおばちゃん(55)】
事情があって12年間勤めた食堂を辞めました。言葉に尽くせぬ思いがあって寂しいです。
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【山口先生のお答え】
その気持ち、よくわかります。私も、先月いっぱいで食堂を退職しました(※記事掲載当時は2014年4月)。松本清張賞受賞以来、書く注文が増えて時間が足りず、年末に「給料半分でいいから、午前10時半で上がらせてもらえませんか?」と労務担当に相談しました。
というのは、だいたい10時半には翌朝の仕込みまで完了し、それから昼食の調理を始めるまで20分くらいティータイムを取っている(なにしろみんな15、16じゃなくて50、60だもので、ちょっと座るだけで疲労感が違う)ので、私がいなくても業務に差し支えないからです。
労務担当は「それはかまわないけど、4時間半勤務で正社員にはできないので、パート契約になっちゃうよ」。もちろん、OKです。
「でも、そうなると食堂に正社員がいなくなってしまうから、新しい主任を雇うことになる」
そこでパートとして勤続するか、退職するか、年度末までに考えてほしいというお話でした。
私はパートで働きながら書き続けるつもりでいたのですが、新しくフルタイムの主任が雇用されれば、完全に余剰人員になります。会社も台所事情が苦しいのに、余分な経費をかけてもらうのは心苦しいものがあります。
そして、87歳要介護1の母は、この先ますます老い衰えていくでしょう。母との残された時間を考えると、退職せざるをえませんでした。
12年も勤続した職場はほかにありません。雇われている身ではありましたが、お客さん(社員食堂だから、ある意味みんな仲間です)の喜ぶ顔が見たくて、自費で食器を買いそろえたり、マグロを買い込んで漬け丼を出したり、フルーツをおごったり、「私の食堂」っていう気持ちでした。そして、私を物心両面で支えて、小説家にしてくれた食堂でした。
書くことは私の生き甲斐です。だから、辞めたことは後悔しません。でも、この寂しさは当分続くでしょう。
すみません、突然ですが、脳みそがウニの話、聞いてくれます?
以前ちょっと触れましたが、じつは私、去年江戸川区から文化奨励賞をいただいて、その流れで講演会を頼まれました。題して「自立した女性の生き方」……40半ばまでニートだった私がどの面下げて? でもまあ、こんな私でも大丈夫という主旨で話せばいいかなっと思ってお引き受けしました。
そして講演会当日の2月22日、会場である船堀のタワーホールに行ったんです。そうしたら、当日のイベント案内に私の講演がない! 受付で調べてもらってもない! ホール中探し回ったけど、ない! もしかして、会場を間違えたの…!? 担当者とはメールのやりとりだけで携帯番号を入力していない。土曜日で役所は休み。どうする?
恐怖に金縛りになりつつ、タクシーを飛ばして家に帰り、タクシーを待たせたままパソコンを起動してメールを調べると……「6月22日」。
私はかつて兄に「ポカリスエット買ってきて」と頼まれて酒屋に行き「ウッカリスカットください」と言った母を「ウッカリしてんのはママでしょ!?」とさんざん笑いものにしてきましたが、もう笑えません。私も脳みそがウニでした。
食堂が取れて、ただのおばちゃんになってしまったというのに、この先こんなことで生きていけるでしょうか? とっても不安です。
やまぐちえいこ
1958年、東京都生まれ。早稲田大学文学部卒。就職した宝飾会社が倒産し、派遣の仕事をしながら松竹シナリオ研究所基礎科修了。丸の内新聞事業協同組合(東京都千代田区)の社員食堂に12年間勤務し、2014年に退職。2013年6月に『月下上海』が松本清張賞を受賞。『食堂メッシタ』『食堂のおばちゃん』シリーズ、そして最新刊『夜の塩』(徳間書店)が発売中
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