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萩尾望都の進化した表現技法が生まれるまで【5分で振り返る漫画の歴史】

ライフ・マネー 投稿日:2022.07.19 11:00FLASH編集部

萩尾望都の進化した表現技法が生まれるまで【5分で振り返る漫画の歴史】

萩尾望都(写真:Newscom/アフロ)

 

 簡単に漫画史を眺めてみたいと思います。本格的に取り組んだら何冊分にもなるテーマなので、ごくはしょった話です。

 

 日本で近代漫画に直結するのは、明治初期に来日して風刺画を描いたビゴーの戯画などのポンチ絵でしょう。近代日本の漫画は、まず政治風刺の一枚絵で始まり、浮世絵の流れを受けた本の挿絵や風俗画とも入り混じりつつ、枠線の規定を尊重する四コマ漫画、その連続体としてのストーリー漫画へと発展していきます。田河水泡の『のらくろ』とかですね。

 

 

 一方、絵物語の描き手たちは、挿絵や紙芝居の世界で、戦前から戦後にかけて連続して活躍します。少女漫画家にも影響を与えていそうなのは、高畠華宵、山口将吉郎、伊藤彦三、山川惣治あたりでしょうか。山川惣治に学んだ漫画(劇画)家に白土三平がいます。

 

 漫画と劇画はどう違うのかは厄介な問題ですが、ごく大雑把にいうと、ストーリー漫画は海外映画や名作児童文学などを範として、昭和戦前に始まりました。SFもあり、詩人の小熊英雄が脚本(原作)を手掛けた『火星探検』(大城のぼる作画)などが知られています。

 

 作家として立つ以前、小松左京はモリ・ミノルほかの筆名で、『イワンの馬鹿』や『大地底海』などを描いていました。小松は手塚治虫の作品が出てきた時、「これはかなわん」と漫画から足を洗って小説家を目指すようになるのでした。

 

 その手塚が理想としたのがディズニーアニメで、枠線がくっきりした児童向けの漫画絵を確立、その画風が元々アニメ化に適しているという形で、漫画原作での日本アニメ隆盛にもつながっていきます。

 

 一方、劇画は、紙芝居や講談挿絵の世界で、ちとドロドロとしていて土俗的。どちらもドラマを指向するようになっていきますが、漫画が学校・モダン指向だとすれば、劇画は講談・人情哀話的でした。

 

■開拓され続ける少女漫画の “新しさ”

 

 少女漫画雑誌も戦後に始まりました。小説や記事中心の少女雑誌は戦前からあり、絵物語も載っていましたが、漫画は例外的でした。ビジュアル面で愛好されていたのは、少年物では樺島勝一や高畠華宵、少女物では初山滋や蕗谷虹児だったでしょう。

 

 戦後になると『ひまわり』『それいゆ』など、中原淳一系統のスタイル画、ポエムに比重を置いた雑誌も生まれ、少女漫画誌も創刊されます。

 

 少女漫画草創期の中心は男性漫画家たちでした。手塚治虫らの漫画が小説や少女アイドルの記事を中心にした少女雑誌に載るようになり、やがて少女漫画雑誌が創刊されていったのです。初期の描き手は手塚の他、石森章太郎、横山光輝、ちばてつや、赤塚不二夫、松本零士ら。永島慎二も少女漫画を描きました。

 

 とはいえ初期の少女漫画で量的に主流だったのは、哀しい母娘物や平凡な日常を描いたもので、彼らの個性的な作品は例外の部類でした。

 

 少女漫画誌の源流である少女雑誌では、『世界名作全集』的な作品のダイジェストやリライトのような作品が、格調ある作品として重視されていましたが、漫画では松下井知夫『クイン・モナの冒険』(1950~51)や手塚治虫『リボンの騎士』(1953~56、その後セリフリメイク再連載数回あり)がその延長上に、格調あるファンタジーや歴史ロマンを拓いていきました。

 

 そうした男性漫画家たちに立ち混じって、1950年代には上田トシコ、わたなべまさこ、水野英子、牧美也子、今村洋子らが登場してきます。特に水野は手塚的ロマンスをさらに発展させた重厚な歴史ファンタジーで人気を博しました。いわば彼女らは少女漫画界における初期ロマン派でした。

 

 次に大きな変化をもたらしたのは西谷祥子でした。それまで少女漫画のいちばんの花形はヨーロッパを舞台にしたロマンス物でした。それが1960年代半ばになると、西谷祥子らによるアメリカ的な「元気で積極性のある女の子」が活躍する青春ラブコメが、爆発的な人気を得ていきます。

 

 この路線は長く続く少女漫画の正統派王道となり、後年にはマンネリ視もされますが、当時はそれが新しかったのです。二上洋一は西谷を、〈少女まんがに、生きた少女像を持ちこんだという意味で、革命的な存在感を与えた人〉(『少女まんがの系譜』)と評しています。

 

 また少年漫画の『あしたのジョー』や『巨人の星』の大ヒットの影響もあり、少女漫画でも友情と根性のスポーツ大作が描かれます。東京オリンピックでの日本女子バレーボールの活躍を受け、少女漫画では浦野千賀子『アタックNo.1』(1968~1970)や望月あきら(原作・神保史郎)『サインはV!』(1968~1970)などが大人気となりました。

 

 これに続くのが萩尾望都たちの世代ですが、同世代で一足先にメジャー・デビューしたのが青池保子であり里中満智子でした。

 

■作品世界の深度に伴い進化する表現技法

 

 表現技法に触れると、水野英子は中原淳一らのスタイル画をヒントに、コマの枠外に見栄えのいい女性の大絵を挿入するのを得意とし、その大絵を筋に絡めて必然性あるものにしたのが池田理代子らでした。

 

 牧美也子や今村洋子、そして同世代ながら15歳でデビューしていた矢代まさこも、モノローグ表現が意識的で巧みでした。細川知栄子(智栄子)や西谷祥子らもモノローグをポエムのように使用して、主人公の気持ちを表現しました。

 

 こうした表現方法は同時代の少年漫画ではほとんど見られないものでした。少年漫画の基本は、友情・努力・勝利。画力やストーリーの巧みさを洗練させながらも、少年漫画は1970年代全般にかけて同じような構造の戦いのドラマを繰り返していた感があります。

 

 萩尾望都が真剣に漫画家を目指すようになったのは、手塚治虫の『新選組』に触れた時だという話は有名です。萩尾は『新選組』から、絵による豊かな内面表現を見てとり、そうした表現を確信をもって深めていきます。

 

 しかし手塚からだけでなく、石森やちばてつや、水野英子、西谷祥子ら、先行する漫画家たちそれぞれの優れたところを幅広く学び、自分自身の表現を形づくっていったのです。これは萩尾に限らずすべての漫画家が、画家が、小説家が辿ってきた道筋です。

 

 萩尾は手塚漫画的な表現を基調としつつも、デビュー前からちばてつやの劇画表現も吸収し(石森からも学んでいますが、石森自身が手塚的ラインを基調としつつ、劇画的なペンタッチを持った作家でした)、その結果、それまでの少女漫画とは異なる大人びた画風を生み出してきました。

 

 これは山岸凉子も同様だったのではないかと思われます。山岸は『アラベスク』(特に第2部、1974~75)の頃から、作中人物の表現が、それまでのかわいらしい丸顔から、面長で大人びた、やや骨ばってさえいる表現に変化しています。

 

 しかしじつは、元々ビアズリー風の画だったのを、当時の少女漫画らしい「かわいらしい表現」にするよう編集者に求められ、従っていたのでした。

 

 萩尾や山岸の絵は、彼女らが表現しようとする作品世界の深度に沿う形で、必然的に変わっていきます。『ポーの一族』や『アラベスク』の世界は、目が大きくて陰りのない純粋にかわいらしい絵では表現できない、より切実な内面を持っていました。

 

 初期には児童漫画的だったものが、繊細な線による絵画的表現に変化し、人物像はアニメ的な漫画絵ではなく、劇画的な線描も伴う陰影ある表現へと移行していったのです。

 

 

 以上、長山靖生氏の新刊 『萩尾望都がいる』(光文社新書)をもとに再構成しました。『ポーの一族』『トーマの心臓』『11人いる! 』『イグアナの娘』…50年以上にわたり新たな普遍的表現を切り拓いてきた萩尾望都の魅力を存分に伝えます。

 

●『萩尾望都がいる』詳細はこちら

 


( SmartFLASH )

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