近年、日本を代表する多国籍企業が次々と、アーキテクチャー重視の製品戦略へと舵を切っている。ここでは、トヨタ自動車が車の開発戦略を大きく転換した例を紹介しよう。
トヨタでは従来、主査(チーフエンジニア)が担当車種に全責任を持ち、それぞれの市場ニーズに合致した個別最適な車を設計してきた。主査は担当車種の価値を最大限に高めようとする動機を強く持つために、細かな点まで独自色を出そうとする。きめの細やかな点に至るまで、違いを創り出そうとすることになる。
【関連記事:最低でも500万円…エベレスト登山にはいったいいくら必要なのか?】
この主査制度は、トヨタの成功を下支えしたトヨタ独自の開発の仕組みとして、広く知られているものだ。だがいかなる優れた制度であっても、光は必ず影を作り出す。
成功をもたらした主査制度の影は、製品バリエーションの増大となって表れた。例えば、車の骨格ともいうべき基本プラットフォームを約20種類と定めていても、現実には小分類まで含めると100種類以上になった。エンジンも事情は同様だった。基本形式は16と定めているのだが、排気規制対応などで次々と種類が増大して現実には800種類以上になっていたのである。
つまりあるべき姿を描いていても、それ以上のバリエーションが現実には作られてしまうというのが、近年のトヨタが直面した課題だった。個々の市場ニーズに最適な車づくりを優先したために、その結果、車種が膨大に増えてコストが増大していったのである。
さらに、トヨタがグローバル戦略を加速し成功すればするほど、この問題は一層切実なものになっていった。台頭する新興国市場の独自ニーズにきめ細かく対応しようとすればするほど、製品バリエーションが増えすぎて収拾不可能になっていったからである。
個々の市場ニーズへの最適な車づくりは、それが価値を生む差別化である限りにおいては、決して悪いわけではない。問題は製品バリエーションが増えすぎて、顧客に対して意味ある価値を提供できていない「無駄な差別化」に陥ってしまったという点にあった。
そこでトヨタは2011年から車の作り方を変更して、商品力向上と原価低減の同時達成を目的とするTNGA(Toyota New Global Architecture)プロジェクトをスタートした。筆者がインタビューしたトヨタの技術者はTNGAの狙いを「無駄な差別化を排除するためだ」と明言した。
トヨタが理想とする車の原型をアーキテクチャーという上位概念として策定し、あくまでもその枠内で個別機種を開発し、安易に新しい部品を開発しないというのがTNGAの考え方だ。そのたびごとに新しい部品を開発せずに、顧客ニーズに合致した車を開発する手法がTNGAだと言い換えることもできる。
そのために、あるべき車とはどういうものかという全体構想を俯瞰的にまず設計するというアーキテクチャー重視へ転換した。従来の個別最適な車づくりとアーキテクチャー重視では、車づくりの考え方が違う。
アーキテクチャー重視では、まず、中長期的な製品シリーズを構想する製品戦略が必要になる。そのためには、顧客ニーズの動向に関する知識、差別化要因のポイントなど市場動向に関する知見、さらに要素技術に関する技術知識など、市場と技術の両方に関する知識、経験、ノウハウが必要になる。
そのうえで一連の製品シリーズ全体に通底する最大公約数としてのアーキテクチャーを策定し、その枠組みのもとで、個別機種を開発するというトップダウン的な流れを辿る。他方で従来は、製品全体に通底する基本枠組みを事前に定めずに、最初から個々の市場ニーズに最適な個別機種を作る方向で製品開発を進めていった。いわばボトムアップ的な進め方と言っても良いだろう。
■「複雑性の壁」を超えるために
ここでTNGAのより具体的イメージを持ってもらうために、進め方の一端を紹介しよう。
TNGAではまず多くの部品を機能ごとの部品群に大別する。そして設計の自由度に応じて部品群を「固定領域」「選択領域」「自由領域」の3つの設計領域に分けた。
固定領域は文字通り、トヨタの車すべてが共通して順守しなければならない部品領域である。守るべき制約条件がルールとして厳密に課されている設計領域である。この領域内の設計仕様については、たとえ個別最適な車を作るためであっても変更することはできない。この設計ルールを順守することが、理想とする車づくりにつながるとトヨタは考えているからだ。
そして、選択領域については、複数の設計の選択肢の中から、合致した設計パラメータを選択する。複数の選択肢が存在するという意味で、順守すべきルールは固定領域よりは緩い。さらに自由領域内の設計パラメータについては、守るべきルールは存在せず主査が文字通り自由に設計できる。
このようにTNGAでは、主査は設計領域に課せられた制約条件に従って、一定の大きな枠内で担当車種を設計することになる。その結果従来と比べると、主査の自由度は制限されることになる。
ヒップポイント(運転手の座る位置)は、車の設計において重要な設計パラメータの一つだが、TNGA導入前は、車種ごとにてんでバラバラだった座る位置を、TNGAでは3種類に集約させた。その際、人がどんな姿勢で座ると快適で疲れにくくなるのかを、これまでの人間工学の経験を注ぎ込んで理想的な3種類を選択した。ヒップポイントを3種類に集約したことによって、50種類あったエアバッグは10種類に集約できたのである。同様にシートの種類も大幅に削減できた。
TNGAの効果はどの程度あったのだろうか。2019年6月29日、トヨタ本社で行われた吉田守孝副社長(当時)の報告によれば、開発工数は25%向上し、設備投資は25%削減し、車両原価は10%削減したという。これらの数値を見ると確かに原価低減には貢献していることがわかる。
だが、TNGAは原価低減だけではなくて商品力向上をも狙っている。果たして当初の狙い通りに、それら2つを同時に達成できるかどうかは、まさにTNGAアーキテクチャーの良し悪しに依存しているのである。
※
以上、柴田友厚氏の新刊『IoTと日本のアーキテクチャー戦略』(光文社新書)をもとに再構成しました。トヨタ、ダイキン、コマツ……世界で成功する企業が実践していることとは?
●『IoTと日本のアーキテクチャー戦略』詳細はこちら
( SmartFLASH )