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錦織圭との不思議な縁で「テニス実況者」になれた元局アナ
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2017.06.22 11:00 最終更新日:2017.06.22 11:00
世界レベルのテニス大会の実況がしたくてフリーアナウンサーになった。その6年後に、男を待っていた運命とは!?
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テレビ局のアナウンサーは学生が憧れる職業のひとつである。しかし、せっかく苦労して手に入れた座を捨ててフリーになる人もいる。吉崎仁康さん(40)もその一人だ。どのような理由があったのか?
吉崎さんは現在、テニスの実況アナウンサーとして、またテニスタレントとしてその活躍ぶりが知られている。じつはテニスの世界を“しゃべりたい”という思いが、フリーの道を選択させた最大の理由なのである。
「テニスを始めたのは高校時代と遅かったのですが、同志社大学に進んでからは、サークルではなく、練習の厳しいテニス部に入りました。部は大学選手権で3位になったこともあり、丸刈りで軍隊みたいに厳しかったけど、やりがいがありました。テニス漬けの生活を送りましたが、選手としては全然でした」
一方で、吉崎さんにはもともとテレビで何かを伝えたいという強い思いがあって、アナウンサー志望だった。アナウンサー以外の就職活動は一切せずにいくつかの放送局を受け、みごと長野放送に受かった。地方局ではスポーツ専門のアナウンサーはいない。温泉やグルメなど情報番組のレポーター、『めざましテレビ』の長野県担当、ニュースも読んだ。スポーツでは春の高校バレーや、ウインタースポーツなどの実況をした。地方局では一人でなんでもやる。
「先輩のアナウンサーを見ていると、だいたい40代で管理職になって、マイクから離れます。でも、一生アナウンサーを続けたいと思っていました。いろいろな経験を積ませてもらいましたが、自分が打ち込んできたテニスの実況や、テニスについてしゃべる機会はなさそうでした。世界レベルのテニス大会の実況をしたいという希望は強く、そのためには局アナを辞めて、東京に出るしかないと思うようになり、辞める1年前ぐらいから準備を始めました」
2008年1月31日に長野放送を辞め、2月1日に新天地を求めて上京した。30歳のときである。
「その月に、世界的には無名だった錦織圭という18歳の天才青年が、世界ツアーで初優勝してこいつはいったい誰だと世界中の大ニュースになった。この運命にびっくりしました。しかもその2カ月後には、伊達公子さんの現役復帰のニュースが流れた」
辞めると同時にテニスが俄然注目され始めたのである。吉崎さんはそれを何かの縁だと感じた。
しかし現実も知る。つてもなく上京したフリーアナウンサーの生活は甘くなく、いかに局アナ時代が恵まれていたかを思い知る。仕事を取るのも大変で、仕事ができる喜びを初めて知った。幸いにもテレビ埼玉のオーディションに受かり、ニュースキャスターをしながら2年間、テニスの勉強をしつつ、望みのかなう時が来るのを待った。
「欠員が出るということでWOWOWのオーディションの機会をいただき、それに受かって2010年の全仏オープンから しゃべってくださいとなった。テニスの4大大会の実況をおこなうようになり、テニス実況が仕事となりました。実況以外ではテニスのイベントやテニス協会の仕事、テニスを普及させるための動画を作るなど、テニスに関わる仕事はなんでもしますが、基本はテニスアナウンサーです」
吉崎さんと錦織圭の不思議な縁は続く。2014年の全米オープンでのことである。ご存じのようにテニスの4大大会は全豪、全仏、ウィンブルドン、そして全米と続く。この大会で錦織は順調に勝ち進み、準決勝で世界No1のノバク・ジョコビッチと対戦した。当時の錦織のランキングは11位。ジョコビッチに勝てる見込みはほとんどなかった。しかし、錦織は3-1で勝った。
「錦織圭がアジア人男子として初めて4大大会の決勝進出が決まったときに、スタジアム全体が興奮に包まれるなかで勝利者インタビューをおこないました。これは僕だけに許された特別な時間で、運命を強く感じました。長野放送の局アナでいたらできないことでした。世界最大のテニスコート上での錦織へのインタビューは、テニスアナウンサー冥利に尽きることで、さまざまな思いが交錯して、マイクを持つ手が震えました」
吉崎さんはテニス普及の一環として昨年からおもしろいプロジェクトを始めた。日光さる軍団のサルたちに月一回テニスを教え、その上達過程をYouTubeにアップしているのだ。題して『テニスをするサル』。世界でテニスをするサルはいないそうだ。錦織の代名詞でもある“エアケイ”も教えた。最終目標は錦織との対戦だ。
ところで、吉崎さんがフリーになってから10年になろうとし ている。錦織圭の活躍で日本のテニス界は大きく変わった。やりたい企画は山ほどある。テニスアナウンサーの枠を超えた活躍の本番は、まさにこれからだ。
(週刊FLASH 2017年6月27日号)