気宇壮大である。「将来の目標は?」と尋ねると、横田龍介さん(42)は「GDP(国内総生産)の1%を扱う企業」と答えた。そして「笑われるぐらいの目標を立てておかないと」と付け加えた。GDPの1%は5兆円を超える。事業を始めてから3年、けっして大きいとはいえないオフィスには、夢が詰まっていた。
横田さんは滋賀県野洲市の出身。小中高とサッカーに明け暮れ、プロ選手を目指しはじめた矢先に足を怪我して、あきらめざるをえなくなった。
「やさぐれていた僕を、友人たちが学校に来させようと、文化祭でバンドをやるからと誘ってくれました。担当はドラムで、叩いたことはなかったけど、打ち込みの機械があって、やっているうちに叩けてしまった。本当に単純だけど、それで今度は音楽で飯を食っていこうという気になった」
17歳で高校を中退し、家出同然で東京の音楽専門学校に入学した。学費は、1年めは朝日新聞の奨学制度を利用、2年めは特待生の試験に合格し、免除となった。
学校ではシンセサイザー科に入った。シンセサイザーの操作は教師より詳しく、コンピュータやシンセサイザーの音作りのプロを目指した。まだやる人は少なく、これなら勝負できると思った。こうして、教師の助手のような形でスタジオや演奏の現場を経験し、音楽人生が始まった。
「送ったデモテープが評価されて、スターダストプロモーションの新人育成枠でお世話になりました。また、ローディー(楽器などのサポート)やマニピュレーター(自動音楽などの操作)として酒井法子さんやB’zさん、THE ALFEEさんなどの現場で仕事をする機会に恵まれました。
28歳ぐらいのときに、今でもつき合わせていただいている先輩であり、現在の日本の音楽シーンを代表する音楽プロデューサーの鈴木Daichi秀行さんと出会いました。
僕がやりたいことの100歩先を行っている彼の背中を見て、同じフィールドで戦ったらとても勝てないと悟り、じゃあどうする? やめよう! と決断しました」
音楽業界を離れ、馴染みの関係者に音楽ではなく、ITやコンピュータを使う仕事をもらえるように頼んだ。それで大手通信機器メーカーの仙台工場や品川にあるビルなど、ネットワーク系のインフラ設計プロジェクトに参画させてもらったりした。
その後もIT系の業務を中心にプロジェクトマネジメントの仕事をし、そこでビジネスを学んだ。
「難しいプロジェクトに参画し揉まれたことが、現在の自分の大きな財産になっています」
39歳のとき、企業と企業を結びつけるビジネスマッチングのプランを作った。東京都中小企業振興公社の事業可能性評価に持ち込むと、成長性の高い事業として認められた。そして、現在の会社を立ち上げた。
「その後、システムエンジニアの派遣業をやりたいと友人から相談を受け、一緒に事業をすることになり、今はSES(技術者の派遣業)がメイン。技術者は全員正社員です。SESはやり方によっては堅いビジネスで需要も多い。派遣先も官公庁や金融系が中心です。
2015年9月、派遣社員が同一組織で働ける期間を最大3年とした労働者派遣法改正がありました。そのため来年9月に、初めて期限をむかえる対象者が生まれます。そこで業界にひと波乱あるとみているのです。その波にうまく乗って、事業拡大を狙いたいと考えています」
SES事業の拡大を図る一方で、前述のビジネスマッチングも手がけていく予定だ。その基本となるのはメイドインジャパンのジャパンブランド。
今後、新興国で仮にインフラ整備をするときに、材料をどこで仕入れるか?
「日本だと思う。そのときにうちが間に入り企業や工場に情報を流す。その結果の情報をフィードバックする。これを繰り返す。うちが営業のツールの役割を果たす。日本にはまだまだいい商材がいっぱいある」
国内から始めて、10年後には海外へ。目標はタイトルにあるとおりだ。
(週刊FLASH 2017年12月12日号)