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倒産・自己破産を経て再起した男の「起業家魂」を見よ
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2018.01.25 06:00 最終更新日:2018.01.25 08:35
倒産から自己破産、そして復活。成功へと導いたのは、まさしく起業家魂だった。
(株)イオレは、2017年12月に東京証券取引所マザーズ市場に上場した。株価は公募価格の1890円に対し買い気配のまま値がつかず、翌営業日に5100円の初値をつけ注目された。上場と聞くと順風満帆と思われるが、社長の吉田直人さん(54)は、成功と挫折を味わってきた起業家である。
「起業はチャンスを摑むというより、基本的にはその人のマインドだと思います。子供のころ父が忙しく、半分祖父母に育てられ『お前が当主になるのだ』と言われ続けてきました。
父は函館で既製服、毛皮、宝石などの女性向けの商売を次々に立ち上げ、いち早く割賦販売を取り入れて事業を拡大していきました。それを見て育ったので、起業することは普通のことだと思っていました」
しかし大学入学時に事態は一変する。カイリ規制により函館に入港する漁船が激減。街は活気を失い父親の事業も危うくなった。仕送りが難しくなり、稼ぐしかなくなった。
だが、アルバイトに精を出せば学校へは行けない。1年間悩んだ末に「儲かる仕事を自分で作ろう」。そして、学生を集めたイベントやアーティストのプロモーションの手伝いを始め、利益を出した。それが、吉田さんの起業家としての原点となった。
「卒業後、広告代理店に就職しましたが、思っていた仕事内容ではなく、半年で辞めて24歳のときに編集プロダクションを起業しました。最初は一人で、当時の先輩やいろいろな方たちに電話をしまくって、知人が紹介してくれた雑誌編集の方に拾っていただきました」
当初は週刊誌の企画ものの提案と制作をしていたが、バブルを背景に広告代理店に成長。1991年には人材派遣会社を作り、ともに順調に業績を伸ばした。
しかし本当にやりたいことを考え、ゲームが好きだったことから同年、ゲーム制作の「グラムス(株)」を設立。PCゲームを作ったが、売れずに悩んでいたときにマルチメディア時代が到来し、パソコンで写真が見られるようになった。
「おもしろいと思い、CD-ROMの写真集を作りました。これが出版流通の紙の写真集と違い、パソコンや音楽CDと同じ経路で売られた。販売価格は9800円と高く、返品もほとんどない。競争相手がないのでどんどん作って、気がつくとマルチメディアの会社といわれるようになりました」
利益で演出にアニメシーンを多用したゲームを作った。それが注目され一躍マルチメディアの星と呼ばれるようになった。
ところが32歳のとき、吉田さんを咽頭ガンが襲う。放射線治療により一時的に味覚や声を失ったが、3カ月後に復帰。
「死ぬと思っているので、日本を代表する超大作を作って名を残したかったし、達成感が欲しかった」
1995年12月に発表したゲーム『クオヴァディス』はヒットしたが銀行の貸し剝がしが一斉におこなわれる時代になった。「銀行の性格をまったく理解していなかった」ために、1997年に定期・普通預金が凍結された。7月に事実上倒産、そして自己破産。
「結果的にはボクが生き残って、会社が死んでしまった」
しかし起業家魂は健在だった。免責後は日本初のタイ古式マッサージ店を大ブレイクさせ、iモードの流行に合わせてコンテンツ事業会社を友人と設立。成功を収めたが、自らのやり甲斐を求めて退社。
サッカー日韓W杯開催前年の2001年、応援の意味のオーレに由来する「(株)イオレ(eole)」を起業。現在、38万団体670万人が利用する日本最大級の連絡網サービス「らくらく連絡網」を運営する。今後は年配世代への普及と、その先は決済機能の付加を目指す。
「ずっと応援される側だったので、そろそろお返しがしたい。上場はできたが、どうしたら皆さんに喜んでもらえるのか、社会貢献になるのか、模索を続けています」
誠実さと優しさが伝わる低い声の響きが、耳に残った。
(週刊FLASH 201年2月6日号)