ライフ・マネー
京都と沖縄はなぜ「排他的」と誤解されるのか…意外な共通項の理由は「秩序を壊さないルール」にあった!

京都と沖縄(写真・AC)
京都人と沖縄人に対するバッシングとして共通しているのは「排他的」であるという言説だ。しかし――。
僕は大学時代を京都で暮らし、その後も春夏秋冬、京都に通い、沖縄で過ごした時代も花の季節や年末には必ず京都に足を運び、初老期になってついに京都に居を構えた。その間、一度もイケズにあったことがないのである。僕は京都人がイケズというのは神話であると断定している。
【関連記事:アグリツーリズムを日本でも推進しよう!イタリアでは2万軒以上の「農家民宿」が一大産業に】
しかし、イケズを外部から持ち込み、それが原因でこの神話がさも真実かのように広めた人がいる。どういうことかというと、京都人がイケズではなく、イケズであるかのように仕立てた人物がいるということだ。
出所は1775(安永4)年に出版された笑話本『一のもり』の小噺で、同じようなネタが1808(文化5)年の十返舎一九の小噺集にもあるという。十返舎一九は江戸住まいの戯作者で『東海道中膝栗毛』を書いた人物として知られているが、上方(京阪神地方)に在住したことがあるので、そのときにこの噺を仕入れたかもしれない。
これがのちに『京のぶぶ漬け』あるいは『京の茶漬』という上方落語で演じられ、人気を博したという経緯をたどっている。つまりは作り話で、完全なるフィクションなのだ。
しかも笑話本が出版された当初は京都に限った噺ではなかったらしい。噺の展開がなんとなく京都っぽいということから、落語では京都が舞台になった。
『京の茶漬』の前段のあらすじ拾ってみることにしよう。
《京都の得意先をよく訪れる大阪の商人がいて、帰りがけになると必ずそこのおかみさんが、「なんもおへんのどすけど、ちょっとお茶漬けでも」と声をかけるのだが、茶漬けなど出たためしがない。そこで、腹を立てた商人が、「よし、いっぺんあの茶漬けを食うてこましたろ」と商用にかこつけて昼時に得意先にやって来る。
あいにく主人は留守で上がり込んで待つことにする。その間、おかみさんと雑談をし、茶漬けのことを匂わせた会話もするのだが、おかみさんは気づいていないそぶりをする。
「これはあかんな」と諦めた商人、引き上げるあいさつをしたところ、おかみさんがしくじってしまった。つい、いつもの癖で、「えらいすんまへんなあ。あの何にもおへんけどちょっとお茶漬けでも」といってしまう。
商人にしてみれば、まさにこの一言を待ってました! なのである。「さよか、えらいすんまへんなあ」と遠慮なしに居座る。おかみさんはしまったと思ってもすべてはあとの祭り。台所へ行ったものの、ご飯はほとんど残っていない。》
本来、「ちょっとお茶漬けでも」というのは、おかまいもできずにすみませんというあいさつで、そういわれたら訪問者は「いえいえ、こちらこそ長居してしもうて。そろそろ帰ります」という符牒のようなものなのだ。
ただし、この符牒もどきみたいなやりとりも作り話で、京都にはそんな慣習はない。この噺の真偽を行きつけの酒場のおかみさんに聞いたところ、
「お客さんに対して、いくらなんでもそんなお茶漬けみたいな恥ずかしいもん、出されへんわあ。かえって失礼や。それに、昔もいまもお茶やら飲み物を出すとしたら茶菓子を添えるくらいちゃうの」
というご返事。事実、京都のみならず江戸の大店でもふだんの食事は質素なもので、客に食べてもらえるような料理など出さなかった。商売上、無碍にはできない大切な人なら仕出し弁当を出すことはあっても、そもそも、どんな土地でも、昼時に家を訪ねること自体、失礼・無礼な振る舞いとされてきたはずである。
これが常識というもので、ごくふつうに考えると、非常識なのは大阪の商人ではないか。つまり、京の茶漬けは「京都人あるある」ではなく「大阪人あるある」を描いた小噺というわけで、この文脈を読み違えるとこの落語の面白みは半減する。
実際、京都在住のどんな人に尋ねても「聞いたことも体験したこともない」というから、これは作り話にオヒレがついたものでしかないようだ。あったとしても、どうもそういう風潮を広げたのは大阪ではないかと僕は考えている。浪花っ子には申し訳ないが、大阪人は京都に対する強烈なコンプレックスがあった。
■秩序を壊さないためのルール
「親しき仲にも礼儀あり」という言葉があるけれど、人間というものは親しさに慣れすぎると不作法というか、みっともない真似をすることがある。
土地が狭くて同じ場所に何代も住んでいる人が多い京都では、周囲の人と適度な距離を保つことは秩序を壊さないための大切なルールなのだ。それゆえ、「親しき仲にも礼儀あり」ではなく、「親しき仲だからこそ礼儀が必要」なのである。
この点は沖縄も同様である。小さな島で、しかも強い血縁共同体によって社会が成立している沖縄では、人間関係の距離を間違えたり、気持ちにゆとりがなくなったりすると諍いに発展しやすい。そんなシーンを僕もいやというほど見てきたが、収拾がつかない場合は、どちらかが島を出ていくケースさえある。
それを防ぐために、沖縄人のDNAにすりこまれたのが「テーゲー」である。沖縄人のすべての気質はテーゲーに通じているといっていい。
テーゲーとは「おおまか、おおよそ、大概」を意味し、沖縄人で知らぬ者はいない島言葉である。そこから発展して、「問題をつきつめて考えずにおおまかに受け止める、おおらかな態度」と解説している本もあるが、ただし一歩間違えると、おおおらかさもいいかげんになって、「親しき仲にも礼儀あり」を忘れた不作法がまかり通ることがある。
そうなるとこんな小さな島社会では骨肉の争いとなって、親兄弟親戚の関係がズタズタになり、島社会の健全な関係が壊れてしまう。
そうならないために、沖縄人は物事や人間関係に対して、テーゲー精神を駆使しながら、万事寛容にすませる風潮を築きあげた。
「テーゲーは沖縄社会における軟骨である」との名言をいい放った友人がいる。いわく、骨と骨がじかに当たるとギスギスする。それを防ぐのが軟骨だ。狭い島社会がギスギスしないよう、沖縄人はテーゲーという軟骨の役割を務める処世術を身につけたのだ、というのだ。
もっといえばどんなミスをしても相手を追い詰めない、追い詰められないという奥深い関係である。そのためには人間に「ゆとり」と「幅」が必要で、これすなわち京都の風潮でもある適度な距離感に通ずる。
■京都と沖縄という大人社会
僕は取材で沖縄の島々をめぐることが多いが、どの島にも度量が広い人や教養人、あるいは礼儀作法の鑑というべき人に出会う。それゆえ、京都と沖縄の異質性のなかに同質性があることを垣間見るのだが、ともかくも、京都人の「親しき仲だからこそ礼儀が必要」も、沖縄人の「相手を追い詰めず、自分も追い詰められない」という論理も、ギスギスした現代日本社会にこそ必要なはずだ。
都がおかれていた京都では、先進地の都市生活者としてのそうしたルールが暗黙のうちにできあがっていたかと思える。沖縄も王朝時代から東アジアの交差点として大交易で栄えた国だったから、日本をはるかに超える勢いで海外との交流を盛んに繰り返してきた国際先進都市だった。そんな「都市」が排他的であるはずがない。
京都と沖縄を行き来していると肌で実感できるのだが、人間の気風がまったく違うようで、どちらも人間同士の距離感が絶妙で、ホスピタリティが高い。だから僕のようなへんこ(=偏屈)でも両地で過ごせるのだ。
これが地方のよそさんには理解できず、京都人をイケズと信じ込み、沖縄人は排他的という具合にオヒレがついてしまった。いずれにしても、この意地悪伝説を京都人や沖縄人が無理にうちけそうとせず、風のごとく雲のごとく、そこはかとなく聞き流しているところが、僕にはいかにも都会人らしく思えてならないのだ。
なんだかんだいっても、京都と沖縄は大人社会ですな。
※
以上、仲村清司氏の新刊『日本一ややこしい京都人と沖縄人の腹の内』(光文社新書)をもとに再構成しました。京都に拠点を置きながら沖縄に通う生活を続けている著者が、京都と沖縄の知られざる “深い関係” を解説します。
●『日本一ややこしい京都人と沖縄人の腹の内』詳細はこちら