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加藤登紀子「自給自足ごっこでもいい」夫の遺志継ぎ千葉・鴨川の「棚田」守る…「令和の米不足」にできること

「鴨川自然王国」の田んぼに立つ加藤登紀子と娘のYae
「令和の米騒動」で大忙し! 田んぼに夢を託してきた芸能人に聞く、米作りの喜びと人生の転機とは――。
加藤登紀子(81)が理事を務める「鴨川自然王国」(千葉県鴨川市)のあたりは、一面の里山だ。高速を降りればすぐ緑に覆われ、草いきれに呑まれそうになる。
「目にするものが、真っ直ぐなのが当たり前という、“曲線恐怖症”の若者がここへ来て、気分が悪くなっていましたからね(笑)。それだけ濃密な自然が残されている。夜なんて星が見えすぎて、星座も辿れないのよ」
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「王国」は、加藤の亡き夫・藤本敏夫氏らが1981年、荒れていた棚田に農場を拓き、創立された。
「敏夫が亡くなったのが2002年7月。すぐに主(あるじ)なしの稲刈りを迎えました。しばらく落ち込んだけど、敏夫を慕う若者が集まって、ジャンベを持ってきて歌ったり踊ったり……。すっごく励まされたの。それで、米作りを受け継いでやっていこうって思えたのよね」
学生運動の活動家として知られた敏夫氏が掲げた「青年帰農」。加藤の次女・Yaeは、その実践者を夫にし、歌手として活動している。
「少し下ると、棚田が400枚近く連なる『大山千枚田』があります。畔道で、ひとつひとつ手を使い草取りをしていると、これまでの芸能活動で着重ねてきた “キャラクター” という服を、一枚一枚脱いでいくような快感があるんです」(Yae)
Yaeは今、害獣駆除に携わっている。取材時に出された鹿のローストはその戦利品だ。これが、棚田で取れたコシヒカリとバッチリ合うのだ。隣で母も健啖ぶりを見せながら、力強くこう語った。
「自給自足ごっこの域は出ないけど、一反歩の田んぼがあれば、家族が1年食べるのに足りる量は穫れるの。そうやって、できる範囲で農業に携わる人が増えれば、自給率が上がり、米不足の解消にも繋がっていくと思うの」
加藤登紀子(81)
1965年、東京大学在学中に歌手デビュー。ミリオンセラー『知床旅情』など、数多くのヒット曲と80枚以上のアルバムを送り出す。今年、芸能活動60周年を迎える
写真・保坂駱駝
取材/文・鈴木隆祐