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最年少役員を目前に退社して作家になった男「人生の転機」は

ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2018.03.29 06:00 最終更新日:2018.03.29 09:21

最年少役員を目前に退社して作家になった男「人生の転機」は

 

 世の中には豊かな才能に恵まれた人がいる。杉山大二郎さん(51)もその一人だ。泣かせるビジネス書として話題になった『至高の営業』、『ザ・マネジメント』などの作家として活動中だが、以前はリコージャパンの販売戦略本部・販売力強化センター長だった。

 

 あと数年で、当時社員数1万人を数えた同社の最年少役員になるだろうと目されていた。なぜ辞めたのか?

 

「母一人、子一人の母子家庭で育ち、貧乏でした。小学4年生の冬、白菜の塩漬けだけで味噌汁もない夕飯が4、5日続きました。朝食抜きで昼は給食、そして夜がそれ。食べ盛りのころで、つい肉が食べたいと言いました。

 

 気の強い母親が初めて涙を見せて、『これしかない。あなたを殺して死のうかと思ったことが3回ある。でもここまで一生懸命生きてきたのだから、一緒にもう少し頑張ろう』と言われた。それ以来、二度と食事については文句を言わないと決めました」

 

 小学5年生から新聞配達をした。新聞奨学金制度を利用した浪人時代を含めると9年間続けた。高校に入ると、食べていくために土日は違う仕事を掛け持ちし、冬休みや夏休みはまた別のアルバイトをした。

 

「母親が小さな出版社で商品管理の仕事をしていて、取次から間違って返品されてきた他社の本を、本当は断裁するのですが、時々こっそり持ち帰ってきました。おかげで推理小説や歴史小説、純文学、SF小説などを読み、将来書いてみたいと思うようになりました」

 

 その思いは高校1年生時に現実となる。夏休みの宿題の読書感想文の代筆をしたのだ。本を提供してもらい、原稿用紙1枚500円で請け負った。宿題は原稿用紙4枚以上だったので、1人あたり4、5枚分の原稿料が手に入った。

 

 依頼人は年々増え、3年生のときはほかのクラスからも頼まれ、20人近くになった。

 

「本はただで手に入るし、いいバイト。ものを書く楽しさと、文章がお金になることもわかりました」

 

 1989年、杉山さんはリコーの国内販売会社である東京リコーに入社した。大学進学を諦め、さまざまな仕事をしながら2年間英語専門学校に通った後のことだ。

 

「1年めの売り上げが同期営業250人で2位、2年めからは1位になりました。小学校の5年生からアルバイトをしてきたので、キャリアが違う。どれだけ修羅場をくぐってきたか……」

 

 その後もトップを続け、全社でもっとも若くして管理職になった。

 

 2008年、リコーは関東甲信越の販売会社を統合し、リコージャパンの前身であるリコー販売を創設した。その1周年記念行事として社長への提言をテーマに論文コンテストが実施され、杉山さんの論文が5000人の社員のなかで第1席に選ばれた。

 

 その結果、社長の肝いりで営業革新室が作られ、初代室長に就任した。その後のリコージャパンでは、役員ではないにもかかわらず、経営会議の最年少メンバーにもなった。

 

 ところが2013年、杉山さんは突然辞職した。きっかけは福岡への異動辞令だ。地方への異動自体は将来役員になるためのステップでもある。

 

 社長からは強く引き止められたが、妻の病気や子供の受験もあり、これ以上家族や周囲に負担をかけるわけにはいかなかった。

 

「妻に異動の話をして、辞めようかと思っていると言うと、あっさり『そのほうがいいんじゃない』。社内結婚でしたから私の出世ぶりは妻にもわかっていたはずです。『本当にいいの?』『あなたに出世してほしいと一度でも言ったことがある?』。家族のために働いて出世してきたつもりでしたが、それより家にいることを望まれたのです」

 

 現在杉山さんは月の10日ほどを執行役員として企業で働き、残りは家で小説の執筆。家族と一緒に過ごす日々だ。歴史小説に挑戦中で、20歳のころの織田信長を書いている。

 

“残りの人生を考える。誰のために生きるのか。人のためなのか、自分のためなのか”。『至高の営業』のテーマだが、杉山さんの選択は人のためだった。

 

(週刊FLASH 2018年4月10日号)

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