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なぜ日本では「忖度」ばかりなのか「戦前の検閲」から考える
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2018.04.11 11:00 最終更新日:2018.04.11 11:00
戦時下の検閲についてはしばしば「神話」が語られる。皇室関係の誤植はすべて発禁処分されたなどがその典型だが、これだけではない。
「発禁処分」の独り歩きもそのひとつである。当時の言論統制や表現規制はすべて「発禁処分」で片付けられやすい。「これも発禁処分された」「あれも発禁処分された」というわけだ。
だが、そう単純ではなかった。むしろ戦時下には内面指導が猛威を振るった。内務省の電話指導だけではなく、情報局の係官や陸海軍の軍人が新聞社や雑誌社の幹部などと頻繁に接触し、さまざまなかたちで編集や企画に介入していた。
谷崎潤一郎の「細雪」もその被害にあった。同作は『中央公論』で1943年1月号より隔月連載されていたが、陸軍報道部の杉本和朗少佐によってその打ち切りを求められた。
「緊迫した戦局下、われわれのもっとも自戒すべき軟弱かつはなはだしく個人主義的な女人の生活をめんめんと書きつらねた、この小説はわれわれのもはやとうてい許しえないところであり、このような小説を掲載する雑誌の態度は不謹慎というか、徹底した戦争傍観の態度というほかない」
結局、『中央公論』編集部は同年3月号で「細雪」の連載を中止せざるをえなかった。同誌自体も、横浜事件の関係で翌年自主廃刊に追い込まれた。
「細雪」をめぐるやり取りは、たまたま編集者がメモを残していたのでわかっているが、同様の事例は無数にあったものと思われる。いや、じっさいはもっと用意周到にことが進んだ。杉本少佐の前任者・平櫛孝少佐はこの事情をじつに生々しく証言している。
「内容についての検閲を行うのは、警察の仕事であって、軍の仕事ではないということになっていたが、各社のベテランは、軍の考えていること、軍の望むところ、はては報道部の嗜好まで先刻承知していて、その献立に異議をさしはさむ余地はなかった。
たまに企画をひっさげて相談に来る出版社もあるにはあったが、その献立たるや、立派すぎるくらいに立派であって、必ずといってよいくらいに陸軍大臣や報道部長の序文をとか、全国の在郷軍人会に販売したいから貴殿の添書をというデザートつきであった。
今にして思うと、こういうのを自己検閲、あるいは御用新聞、御用雑誌というのであろう。報道部としては、発行されたものを読んで、意見や希望を述べるくらいのものであった。
どうしてこうも円滑に、ことが運ぶのかと考えたが、それは、雑誌担当者の私が、内閣[新聞雑誌]用紙統制委員という宝刀を持っていたためであったのではなかろうか。当時の出版社にとって、用紙の割当ては、何ものにもかえがたい糧道である」
つまり、出版社の側が軍部の意向を忖度して自主検閲してくれたので、仕事が楽だったというのである。なんとも正直な告白ではないか。
忖度にもとづく表現規制は、正規の検閲制度が存在しない現代日本にも無縁ではないのだ。
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以上、辻田真佐憲氏の新刊『空気の検閲~大日本帝国の表現規制』を元に作成しました。大日本帝国期の資料を丹念に追いながら、一言では言い尽くすことのできない、摩訶不思議な検閲の世界に迫ります。
●『空気の検閲』詳細はこちら
https://smart-flash.jp/shinsho-guidance-86/