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柏レイソルの神スポンサー「珍來製麺所」社長の転機は結婚

ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2018.05.17 08:00 最終更新日:2018.05.17 08:40

柏レイソルの神スポンサー「珍來製麺所」社長の転機は結婚

 

「最大の転機は結婚したとき」と言うのは清水延年(54)さんだ。清水さんは珍來製麺所と、同名のラーメン店を千葉、茨城に9店舗展開する企業の社長である。結婚したのは大学を卒業したばかりの22歳のときだ。

 

「大学1年生のときに車の免許を取りました。父が祖父に車を買ってもらえと言うのでお願いに行ったら、二つ返事で『ああ、いいよ』。納車されたので報告に行ったら、『そうか、じゃあ明日から製麺所で働け』。『エッ!?』。完全にはめられました」

 

 清水さんの祖父は1928年に珍來製麺所を作り、ラーメン店を始めた。1977年には製麺所と店舗を会社組織にした。製麺所は深夜から作業が始まり、作った麺を朝のうちに配送する。添加物が少なく美味しいと評判の麺だ。

 

「朝の4時から9時まで働け」

 

 9時まで働くと1時限目の授業が始まってしまう。しかし、「仕事と学校とどっちが大事なんだ」と聞かれたら、大学とは言えなかった。すべてがそこから始まった。

 

「工場の仕事を続け、卒業後は祖父の会社に入りました。出版とか、デザインの世界へとも思いましたが、なによりも妻と早く結婚したかった。そのためには自分の家で働いたほうがいいと考えました。

 

 ただ妻からは、大学を卒業しないと厳格な父親が認めてくれないと言われ、単位不足がひどかったので、卒業するまでが大変でした」

 

 家父長制度が残っているような古い家庭で育った。子供のころ、身勝手な父と母が言い争う姿を見るのが嫌だった。そんなとき、心の拠りどころとなったのがアメリカのテレビドラマ『奥さまは魔女』だった。ドラマの中で魔女のサマンサと夫のダーリンはとても仲がよかった。

 

「いつも最後は濃厚なチューをする。理想的な家庭像でした。奥さんを大事にして、守り、幸せにする。結婚したらああいうふうになろうと思っていました。ドラマに救われたし、私にとってはバイブル的な感じです」

 

 25歳のころから料理人として直営店を回った。当時はレシピもなければ、店長という役職すらなかった。みんな職人で、どの店へ行っても何も教えてくれない。

 

「全部自分で見て、覚えるしかなかった。中華料理の本を読んだり他店の味を研究したり、ずいぶん勉強をしました」

 

 1998年、祖父が90歳で急逝した。それまで現役で、ワンマン経営だった。本人でなければわからないことが多く、後処理に困った。暖簾分けのため、「珍來」を名乗る店が多かったことも問題を複雑にした。

 

「妻と家族がいなかったら逃げ出していたかもしれない」

 

 結局、会社は父親が継いで会長となり、清水さんが社長になった。

 

 それから20年、会社の組織化はまだまだ途上だという。店のメニューとレシピは清水さんがすべて作る。味には絶対的な自信を持つ。麺は中太の縮れ麺。

 

「それに合うのはあんかけ。だからうちではうまに麺がいちばん売れています」

 

「今は店を増やすことより商品力、サービス力の強化に努めています。その基本は挨拶。挨拶ができたからお客様をはじめ多くの人にかわいがられてきたし、今の自分がある。

 

 店に来られるお客様に、全スタッフが気持ちをこめて挨拶ができるように教育しています。それを実践できるようになれば、お客様はもっと増えると思います」

 

 千葉県柏市に3店舗あった(現在は4店舗)ことから、2010年に地元のサッカーチーム・柏レイソルのクラブスポンサーになったことも転機となった。

 

 契約の年からJ2、J1、天皇杯、ナビスコ杯と4年連続で優勝したことから、サポーターにとっては神がかったスポンサーとして認知度が高まった。クラブとコラボした期間限定メニュー・レイソルカレーらーめんも好評だ。

 

 さて、清水さんの “サマンサ” は、日本を代表するフラダンサー・清水朝子さん。魔法の代わりに、フラのリズムで家庭に安らぎをもたらしてくれる存在だ。

 

(週刊FLASH 2018年5月29日号)

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