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駅弁130年史(2)長距離列車とともに普及するが戦争で停滞
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2018.05.17 08:00 最終更新日:2018.05.17 08:43
駅弁愛好家・安田理央氏いわく、「駅弁とは、その土地の美味しいものをコンパクトに凝縮したもの」。いまや旅先だけでなく家でも楽しめる駅弁の、これまで語られなかった苦難と繁栄の歴史を追う!
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1885年(明治18年)に誕生した駅弁は、長距離列車の登場により、多くの駅で売られるようになる。
東海道線が山陽鉄道に直通となり、長距離列車が走り始めた。これまで『握り飯』や『幕の内弁当』が主流だった駅弁が、多様性を持ちだしたのがこの時期だ。
現在まで残る『鯛めし』『鯉弁当』『あなごめし』など、バラエティに富んだ駅弁の多くはこのころに登場。地方独自の特色というテーマも生まれた。
写真の「復刻版御鯛飯」のパッケージは「東華軒」の大正12年〜昭和6年の鯛めしの掛け紙を再現したもの。100年以上の超ロングセラー商品だ。
続いて、第2次世界大戦で、駅弁暗黒期が到来する。1942年の食糧管理法、1945年の旅行者外食券制度の導入で、駅弁用の米が不足。要衝駅の有力店以外の店舗は営業が困難となる。
一方、旅行者はもらった外食券の分だけ、食糧の現物配給が削られたという。
そして1955年以降、高度経済成長期で旅客が増え、売り上げが回復する。米の販売が事実上自由となり、鉄道旅客の往来は増え、売れる条件が整ったからだ。「崎陽軒」の『シウマイ弁当』に代表されるヒット商品が、駅弁復活の原動力となっていく。
このころ、駅弁を題材にしたドラマや映画なども多く制作されている。『峠の釜めし』で有名な「荻野屋」の高見沢夫妻がモデルとなった『釜めし夫婦』(フジテレビ系)が有名。
この時期には駅構内で、停車中の車両にいる乗客に弁当を販売する売り子が多く見られるようになる。
【駅弁年表(1895-1963)】
●1895年(明治28年)9月神戸駅から山陽鉄道の直通運転開始
列車の長距離運行が増えたことで、駅弁の需要が高まった。
●1899年(明治32年)鎌倉ハムサンドウヰッチ発売
「大船軒」が大船駅で日本初のサンドイッチ駅弁を発売した。
●1921年(大正10年)鉄道省が土瓶を禁止
衛生上の理由でガラス製に替わる。しかし煎茶が尿のように見えるとの声を受け、数年で製造中止に。
●1942年(昭和17年)2月21日食糧管理法制定
業務用主食が厳しく制限され、駅弁の売り上げは著しく低下した。営業を中断した店舗も多数。
●1945年(昭和20年)6月20日旅行者外食券制度導入
旅行者は地方長官の発行する外食券(100グラム券一種類)がないと、駅弁が買えないことになった。
●1952年(昭和27年)米飯弁当以外はすべて自由販売に
一部の駅弁店では、屑米の払い下げを受け、加工して主食つき弁当を調整し、自由販売をおこなった。
●1954年(昭和29年)「崎陽軒」がシウマイ弁当販売開始
昭和初期に登場した人気商品「昔ながらのシュウマイ」を弁当に詰めて販売。熱狂的な愛好家も多い。
●1955年(昭和30年)業務用米特売制の実施
このころの駅弁の掛け紙にはまだ、「業務用米」「節米に御協力下さい」などの印刷文字が見られる。
●1958年(昭和33年)『裸の大将』で駅弁店が描かれる
山下清が我孫子駅の「弥生軒」で働いていたという実話をもとに、阿武田駅で駅弁を売るシーンがある。
●1958年(昭和33年)「荻野屋」が『峠の釜めし』を発売
横川駅で売り出し、旅客の口コミで大ヒット。当時の価格は120円。のちにドラマ化される。
●1961年(昭和36年)12月映画『喜劇 駅前弁当』公開
森繁久彌、坂本九などが出演。浜松の駅弁店が舞台のため、うなぎ弁当が登場する。
(週刊FLASH 2018年4月24日号)