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駅近・築50年のビルオーナー「自称ニート」が迎えた人生の転機

ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2018.05.24 08:00 最終更新日:2018.05.24 08:05

駅近・築50年のビルオーナー「自称ニート」が迎えた人生の転機

 

 京浜急行の京急川崎駅から歩いて2、3分の商業地に、5階建ての長谷川ビルはある。そのビルのオーナーが長谷川隆之さん(60)だ。

 

「ご先祖様のおかげで、生活を維持することができている」と、ニートを自称する。本当なら羨ましいご身分だが、さてどうなのか?

 

「父がビルを建てたのは1968年のこと。それまでは家業の米屋と住居のあった場所でした。米の配給制度が変わりつつあった時期で、米穀商の先行きの見通しに、何かしらを感じて建設したのだと思います。

 

 当時私は小学校の高学年で、受験の準備をしていたころ。中学は慶應義塾普通部に入り、そのまま慶應高校へ進学しました。高校は一学年に50人のクラスが18もあるマンモス校でした」

 

 高校1年の1学期が終わると、学校へは行くものの授業には出なくなり、落第。2回めの1年生のときは、1学期終了後に休学。六本木、赤坂で大人を気取って遊んだりした。

 

 しかし、それでもなんとか進級しようと、3回めの1年生にトライした。3学期まで進んだが、喫煙が見つかり、停学。結局進級を果たせず、中退した。

 

「20歳のとき、県立川崎高校の定時制の2年に編入して1年間通い、その間に大検に合格したので学校はやめました。大学へは行かずに3年間フリーターを続け、その後、コンピュータソフト制作の下請けをする会社に就職しました。足かけ3年間勤め、1983年、26歳のときから家業の米屋を本格的に手伝うことになりました」

 

 場所柄、取引先は飲食店が主力。1986年、川崎駅前にアゼリア地下街が開業し、大手外食チェーンの参入が相次いだ。しかし、それら企業との取引は、町の米穀商の規模をはるかに超えており、資金的にも無理があった。どうするか。転機を迎えたのは1989年、32歳のときだ。

 

「母の実家も米穀商で、早くからコンビ二を経営していて、私のところにも出店の話が来ていました。父はまだ元気でしたが、米穀商をやめて、思い切ってコンビニに切り替えました。契約期間は15年。47歳までなので体力的に無理もきくし、やり直しもきくと考えました」

 

 経営は大変だった。すぐ先が官庁街だけに、飲食店が閉まると深夜の人口がない。夜間の売り上げを補うには、サラリーマン相手に薄利多売の商売をするしかなかった。

 

「朝と昼のピーク時に各々1200人ぐらい客が来る。レジ4台に、袋詰め係をつけて8人いないとさばけない。ジュース類もすぐなくなるので、冷蔵庫にも一人。正社員が3人にアルバイト。よく働いてもらい、従業員には本当に感謝しています。今から思うとずいぶん無茶なことをしました」

 

 1999年、長谷川さんは最愛の妻を亡くし、8歳の娘と2人残された。それから2004年に契約が切れるまで、1日も休まず仕事に励んだ。父親は2003年に他界。

 

 契約終了と同時にコンビニはやめ、別のコンビニチェーンに貸した。以来、ビルやアパートの運営、管理をおこない、娘を育てた。ビルは場所がいいため、常に満室だ。しかし、問題もある。

 

「長谷川ビルは今年で築50年。この先を考えると、なんとかしなければとは思う。容積率が800%の地域なので、建て替えようと思えば14階建てぐらいまではできるが、莫大な資金が必要となります」

 

 借りるとなれば、結局、娘に負担をかける。だから、どうするかは娘次第のところがあるという。

 

「昔から娘と私はゲーム仲間で、私は今、インターネットでポケモンのゲームを戦っています」

 

 ポケモンは55歳を過ぎてから始めたが、将棋と同じで奥が深い。順位はまだ低いが、日本将棋連盟が読売新聞社と共催している「ポケモン竜王戦」への出場が目標だ。

 

 それに、子供やお年寄り向けに、ポケモン教室を開きたいそうだ。新たな転機となるのか、何かが長谷川さんを待ち受けている。

 

(週刊FLASH 2018年6月5日号)

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