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カネの無心ばかりしていた生活破綻者「マルクス」10の伝説

ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2018.06.03 13:00 最終更新日:2018.06.03 13:00

カネの無心ばかりしていた生活破綻者「マルクス」10の伝説

『ハイネの訪問を受けるマルクス夫妻(写真・時事通信)』

 

「生活破綻者ですね。生活だけじゃなく、性格も破綻者じゃないかと思ったりするんです」

 

 池上彰氏が語るのは、『資本論』で有名なマルクスについてだ。「マルクス研究会」事務局長で駒澤大学の明石英人准教授も、「実際、ちょっと嫌な奴だったかもしれない」という。

 

 うーん? あれ? 10の伝説でマルクスの人となりを知ろう。かなり人間的です。

 

【伝説1】お手伝いさんをはらませたのに、親友のエンゲルスの子だと思わせていた

 

 マルクス家に長年仕えたメイドのヘレーネ・デムートに男児を産ませた。だが、周囲はエンゲルスの子供だと思っていたという。

 

「ひどいでしょう。だから、マルクスの娘は『エンゲルスおじさんってひどい人』だと思っていたようです」(池上氏)

 

【伝説2】カネの無心ばかりしていた

 

 極貧生活を送ったが、工場主の子息であるエンゲルスから仕送りを受けていた。

 

「マルクスがエンゲルスに宛てた書簡では、しょっちゅうお金をせびっているんです。当時としては相当な金額で、けっこう、ぜいたくな暮らしをすることができるほどだったのです」(池上氏)

 

【伝説3】趣味は批判! 面前でも文章でも罵倒しまくり

 

 マルクスは意見の異なる者に対しては徹底的に侮蔑し、批判した。

 

「自分に近い立場の人にも容赦なく批判をするんです。彼が書いた書物もそうなんですね。えげつないくらい罵倒する。彼は『自分の趣味は批判だ』みたいな言い方もするぐらい。だけど、それは自分の理論を鍛え上げるためのひとつのプロセスでもありました」(明石准教授)

 

【伝説4】生涯の半分を亡命者として過ごした

 

 1818年5月5日、プロイセン王国に生まれた。父はユダヤ人弁護士、母もオランダ出身のユダヤ教徒だったが、マルクスが6歳のときにプロテスタントに改宗。のちに、大学での教職を断念したマルクスは「ライン新聞」に入ったが、言論弾圧で妻とともにパリに。

 

 パリも追放され、結局は終生の地・ロンドンで1867年、『資本論』第1巻を刊行した。1845年に故郷のプロイセン国籍を離脱して以降は、無国籍者として64年の生涯を終えている。

 

【伝説5】酒好きのヘビースモーカーだった

 

 ボン大学時代は酔っぱらって1日禁足処分を受けるなど酒が過ぎ、父によってベルリン大学に転学させられた。家計のために、安物で質の悪い葉巻を吸っていた。

 

【伝説6】妻は貴族の娘だった

 

 貴族の娘である4歳年上のイェニーと1836年に婚約した。イェニーの兄など、親族からの反対は多かった。マルクスは反貴族主義者だが、妻が貴族出身であることは誇りだった。

 

【伝説7】膨大な読書量だったが、文字はヘタ、計算ミスも多かった

 

「読書量がすごく多くて、読んだ本のポイントなどを、自分のノートに書き留める『抜粋ノート』を作っていました。当時は紙は高価ですから、小さい字でノートにいっぱい書き込んでいました。ただし、几帳面ですが汚い字です。また、じつは計算ミスはしょっちゅうしているんです」(明石准教授)

 

【伝説8】好きな色は「赤」だった

 

 当時、イギリスで流行していた遊びのなかで、娘たちの質問に「赤」と答えたという。

 

【伝説9】2男4女をもうけるも「不幸な別れ」ばかり

 

 6人の子供をもうけたが、病死などで、成人したのは3人の娘だけだった。晩年は妻と長女に先立たれ、マルクスの死後、残った2人の娘はそれぞれ自殺している。

 

【伝説10】でも、完璧な天才だった

 

「マルクスは天才ですよ、ある種の。あれだけのものを、あれだけの力を持って書いたわけですから。天才って、どっかおかしい人、多いでしょ」とは池上氏。

 

 明石准教授に、マルクスに間違った点はないのかと問うと、しばらく考えてからこう言った。

 

「理論は完璧です。最近流行りのリフレ派とか、ふわふわした経済理論と違って、マルクスは絶対に裏切りませんから」

 

(週刊FLASH 2018年5月22日号)

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