「塾を作ったときが最初の転機」と語るのは、管野淳一さん(64)だ。1984年、30歳のときに千葉県流山市江戸川台に学習塾を創設。塾名は「クセジュ」。モンテーニュの言葉で「私は何を知っているだろうか」という意味だ。
「大学時代は学生運動が盛んで、企業のサラリーマンにはなりたくないと思っていました。大学院に籍を置いたまま、昼間は高校の非常勤講師、夜は塾のアルバイト講師などをしていました。
しかし、27、28歳のとき、女子短大の講師に推薦され、また、高校と塾からうちでやってみないかと誘っていただいた。3つの選択肢があったのですが、塾の授業は自由で、国の学習指導要領に従うこともない。そこに魅力を感じて、塾の専任講師の道を選びました」
ただ、問題はその塾にあった。多角経営に走って講師たちを教育と無関係の分野に配置転換するなど、経営者と講師が反目するようになった。
結局、管野さんを中心とする主要メンバー全員が解雇された。それで、急遽そのメンバーたちとともに塾を開いた。
「新しい塾には前の塾から200人以上の生徒が移ってきました。それが、引き抜いたということで提訴され、我々も給料未払いや名誉毀損で訴えるという事態になった。
我々を誹謗中傷するビラがまかれたり、子供たちの親やアルバイトの学生も脅されたりした。危険なので私も妻を実家に帰し、塾に寝泊まりした。
裁判には勝ちましたが、当初のメンバーのうち半数が裁判中に塾を去りました」
授業はおもしろくなければいけない、それが塾の方針。教科書に書いてあることを覚えさせるだけの授業はしない。国語だったら森鴎外の『舞姫』を一冊読ませる。そこから作者の意図などを考えさせた。
社会ではテレビのドキュメンタリー番組を見せて、世界と日本の違いなどを学ばせた。
「ビデオばかり見せていると、一部の親からは苦情が来ました」
もちろん受験では覚えなければいけないこともある。それをシステム化して、週1回は授業の始まる前に5分間で英単語、計算、漢字テストをおこなった。
英単語テストでは範囲表を渡し、中1から中3まで同じ問題。「学年別に覚える単語を決めているのは国の方針。どうせ覚えるなら、早く覚えたほうがいい」という考えだ。
「千葉県の公立高校御三家のひとつに東葛飾高校がありますが、塾を始めて3年たつと、その名門校に生徒がごそっと受かりました。
するとまわりの目が変わり、塾が一流と目され、いきなり進学塾としてのステータスが出来た。それからは県内のほかの4地区でも教室を開き、生徒数も1000人ぐらいと、個人の塾としてはずいぶん大きくなりました」
2013年、60歳を迎える管野さんに第二の転機が訪れた。以前から60歳になったら後進に道を譲り、引退すると決めていた。
「引退後の仕事は決めていなかった。実際、何もないと不安になり、そのうちにストレスからか、目が見えなくなってきた。何かをしようと思い、2014年に『教育研究所ARCS』を作り、セミナーや講演会を始め、『中学受験が子どもをダメにする』という本を出しました」
その本がきっかけとなり、柏市から依頼されて、市の教育アドバイザーに就任。学校からも力を貸してほしいという話が舞い込むようになった。
「今は柏市内だけでなく、都内の学校でもアドバイザー、コンサルタントとして教育改革に取り組んでいる。モットーは『先生、生徒、親の三者が共同創造する学びの空間づくり』だ」
中学、高校生を子に持つ親へのアドバイスはこうだ。
「40代、50代は今後の人生の基盤を作るとき。親は子供のことばかり心配するのではなく、自分のやりたいことや、やり残したことをぜひ実行してほしい。
親が幸せなら子供は健全に育つからだ。でも、今の親はよくやっていると思う。自信を持ってほしい」
(週刊FLASH 2018年6月19日号)