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勝負俵はビール瓶で…国技館の「土俵」はどうやって作るのか

ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2018.06.17 16:00 最終更新日:2018.06.17 16:00

 幾多の力士が血と汗と涙を流してきた大相撲の聖地・国技館。そこには時代を超えて日本人が大切にしてきた何かが色濃く残されていたーー。
 日常に潜む不思議を暴く作家・二宮敦人最新ルポ。

 両国、国技館。
 今日、僕は初めてこの場所に入る。警備は厳重で、いくら取材許可を取っているとはいえ、恐ろしくて心臓がばくばくいう。相撲は神事であり国技であり、深い伝統と格式がある。そんなところが僕にハードルの高さを感じさせるわけだが、実態はどうか。

 

 国技館の中心であり、象徴でもある土俵。そこには数多の力士たちの血と汗と涙が染み込んでいる。
 そしてその土は、産業廃棄物である。

 

「えっ、そうなんですか?」

 

 呼出吾郎さんはうんうん、と頷いた。呼出という役職は、取組の前に力士の名前を高らかに呼び上げることで有名だが、実は土俵作りやその整備なども担当している。

 

「ほら、塩。塩撒くでしょ。いっぱい塩が入った土って、普通にはね、捨てられないらしいんですよ」

 

勝負俵はビール瓶で…国技館の「土俵」はどうやって作るのか

 

 ただいま、国技館では土俵を壊す作業の真っ最中。30人ほどの呼出が古い土俵に群がり、スコップなどで突き崩しては、土の塊を手押し車に満載して運んでいく。土木工事さながらの光景だ。

 

「よーいしょ!」

 

 板を斜めに立てかけて作った坂を、若手の呼出が手押し車で上り、トラックの荷台に土を詰め込む。

 

「で、あれを処理場に運んでいって、捨てるわけです。4トントラック3台と少しですからね、12トン以上ですね」

 

 土俵にトラックが横付けされている光景にはなかなかインパクトがある。これは楽になった方で、昔は手押し車でせっせと土を運び出していたというから驚きだ。

 

「あれ、でも崩したのは上から30センチくらいだけなんですね」

 

 そうです、と吾郎さんは早口に答える。

 

「下は残しておいて、新しい土で上を作っていくんです」

 

「え、じゃあ土俵の下半分はずっとそのままなんですか。コンサートの時とか、どうするんですか」

 

「仕舞っておきます。エレベーターになっていて、地下一階に収納できるんで。土俵の下の部分は、国技館が始まってからずっと残っている部分ですね」

 

 そんな、老舗のうなぎ屋秘伝の継ぎ足しタレみたいなやり方をしていたとは。歴代の力士に踏まれ、血と汗と涙と塩で熟成された土。分析したら、未知の菌が存在するかもしれない。

 

 古い土を運び出すと、今度は新しい土が運び込まれてくる。

 

「このために、専用の土を運んでくるんです」

 

 触ってみたが、確かに普通の土じゃない。重く、固く、色が濃く、そして粘りがある。粘土の割合が高いのだ。壁土などに用いられるものだという。果たしてどうするのかと見ていると、何人かが土を積み重ね、何人かは水を撒き、何人かは形を微調整。

 

 そして太鼓に脚が生えたような「タコ」と呼ばれる木製の道具でぽんぽん叩き、固めつつ形を整えていく。大きいものが「大タコ」で、小さいものが「小タコ」だ。他にも「タタキ」「小タタキ」などの様々な道具がある。

 

 アスファルトをバコバコ叩く、エンジン駆動の「タンパー」や「ランマー」という機械を見たことはあるだろうか。あの機械に取って代わられる前、日本の土木工事を支えていた道具が、国技館では今なお生き残っているのだ。

 

 何もかも手作業で、みるみるうちに土俵の形ができていく。呼出たちは、それぞれ次はどんな作業が必要かを完璧に心得ているようで、無駄のないチームワークだ。各場所と巡業、さらには相撲部屋の土俵まで彼らが全部作っているのだから、すっかり慣れているのだろう。

 

 土の量にして40トンほどの構造物と考えると途方もないような気がするが、43人の呼出の連携プレーで、3日もあれば美しい国技館の土俵が完成する。

 

勝負俵はビール瓶で…国技館の「土俵」はどうやって作るのか

 

 うーん、さすが伝統。これぞ国技。

 

 と感心していたのだが、すぐ脇の光景に僕は釘付けになる。

 

 6人ほどの呼出が、せっせとビールの空き瓶を振り上げては何かを叩いているのだ。吾郎さんの方をうかがうと、説明してくれた。

 

「あ、あれは勝負俵を作っています。土俵の円形の部分です。ああして稲藁を丸め、土を入れて縛る。ビール瓶で叩くのは形を整えるためです」

 

「あの、どうしてビール瓶なんですか。なんかこう、伝統の道具とかじゃないんですか?」

 

「ううん…………ビール瓶が使いやすかったからじゃないですかね。握った感じとか、大きさとか、ちょうど良くて。私の知る範囲ではずっと使ってますよ。アサヒの古い瓶がいいんです。今の瓶は形が違うし、少しガラスが薄くなった」

 

 年季の入った古い瓶で、若者たちは藁を無心に叩いている。確かに完成した土俵に問題がなければどうでもいいのかもしれないが、勝手に想像していた「伝統」とはちょっと違う光景だった。

 

二宮敦人(にのみやあつと)
1985年生まれ。小説作品に『最後の医者は雨上がりの空に君を願う』。初のノンフィクション作品『最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常』が12万部を超えるベストセラーに

 

(週刊FLASH 2018年6月5日号)

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