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【目指せ不思議スポット】地底に秘められた1kmの洞窟伽藍
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2018.07.15 12:00 最終更新日:2018.07.17 15:17
古都鎌倉からほど近く、歴史の深い立地にありながら、いつまでも知る人ぞ知る存在に留まっている不思議な洞窟がある。
通称、田谷の洞窟。正式名称を「田谷山瑜伽洞」と呼ぶこの洞窟は、修行僧によって掘られた伽藍(僧侶たちの修行の場)で、総延長は実に1kmに及ぶと伝えられている。
受付で400円の参拝料を納めて、パンフレットと一緒にロウソクを受け取る。参拝者はそのロウソクを棒の先に立て、かすかな灯りを頼りに暗闇の奥へと進んで行くのだ。
ほんの数歩足を進めれば、静かな洞内がひんやりと、そしてしっとりとした空気で満たされていることがわかるだろう。これぞ、神秘の空気である。そして、誰もが言葉を奪われるに違いない。壁面や天井に彫られた、あまりにも見事な仏像や仏画の数々に。
これまで天然の鍾乳洞から戦時中の防空壕まで、幾多の洞窟に潜入してきた僕だが、この光景は他に類を見ない。仄暗く、静謐なこの洞窟内には、なんと300以上もの彫刻が施されているのだ。
ゆらめくロウソクの炎が消えてしまわないように、時折、歩く速度を落としながら、ゆっくりと奥へ進む。その途中で次々に現れる曼荼羅や十八羅漢を拝みながら、誰もが疑問に感じるだろう。――これほどの大洞窟を、いったい誰がいつ掘り上げたのか、と。
田谷山瑜伽洞は現在、横浜市の文化財に指定されているが、実のところ、その成り立ちについては「正確なことはほとんどわかっていない」のだと、定泉寺の渡辺隆人・副住職は語る。
「この定泉寺は、関東大震災(1923年)で倒壊した際、しばらく住職不在の時期が続いていました。その間に代々保管されてきた寺伝や古文書の類いが散逸し、公式な歴史書を失ってしまった経緯があります。瑜伽洞の由来が不詳であるのも、そのためです」
この定泉寺の開創は天文元年(1532)、室町時代のこと。瑜伽洞の始まりはそれよりさらに遡り、鎌倉時代の初頭と伝えられている。つまり、この地に定泉寺が建つ前から、洞窟は存在していたことになる。
そのため、もともとは古代人が掘った横穴式住居であったとも、古墳の一部であったとも言われていが、真相な定かではない。ただ、隣接する鎌倉一帯で古来、「やぐら」と呼ばれる横穴式の納骨窟を掘る文化があったことと無関係ではなさそうだ。
洞窟内には、秩父、西国、坂東の観音霊場100ヶ所、さらにお遍路で有名な四国88ヶ所の札所が、すべて収められている。つまり、洞窟内を巡拝することで、188ヶ所すべての霊場の巡礼を代替できることになる。
こんな洞窟が鎌倉のそばにあるとは、驚くしかない。
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以上、友清哲氏の新刊『消えた日本史の謎』(知恵の森文庫)から再構成しました。謎の構造物、おかしな物体、奇妙な伝承、未解明のパワースポット…不思議をめぐる旅の記録です。