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【目指せ不思議スポット】青森県にある「日本中央の碑」
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2018.08.08 11:00 最終更新日:2018.08.08 11:03
青森県の東北町に「日本中央の碑」が存在するのをご存知だろうか。現地の赤川上流で発見された高さ1.5メートルほどの自然石で、表面には「日本中央」の文字が見て取れる。
日本列島をまっとうに俯瞰すれば、青森が日本の中央であるはずがなく、その文言の意味するところは不明だが、出処や由緒について掘り下げていくと、これがなかなか興味深い。この石碑は、平安時代に征夷大将軍を2度務めた武官、坂上田村麻呂が遺したものという説があるのだ。
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元をたどれば、12世紀末に歌学者・藤原顕昭が編纂した『袖中抄』に、次のような内容の記載がある。
《日本の東の果てに「壺の碑」というものがあり、それは坂上田村麻呂が弓のはず(弦をかける部分)を使って「日本中央」と彫ったものだ》
坂上田村麻呂の活動時期から、それが彫られたのは9世紀初頭と考えられている。碑の発見者は川村種吉という故人で、1949年、少し地面に埋まった状態で見つかったという。
さっそく碑を見に行ってみよう。青森空港から太平洋側へ車を走らせ、1時間ほど。発見された石碑が展示される、東北町の「日本中央の碑歴史公園」へと向かう。
東北の奥地らしい、緑豊かな鄙びた風景が続くだけに、日本中央の碑が展示される施設が妙に目新しく映える。入館料を徴収されることもなく、ただ中央にどーんと巨石が設置されるだけの建物。
実際に見てみると、日本中央の碑は確かに立派な巨石だが、そこに彫られた「日本中央」の4文字は “微妙” だった。1000年以上も前の筆致とは思えない整った書体は、現代人が丁寧に手書きした文字の書体に近い。多くの寺社仏閣に残る物々しい楷書とは、明らかに雰囲気が異なっている。
しかし、坂上田村麻呂は弓の端でガリガリとこの文字を彫ったそうだから、こんなのものかもしれない。そう考えれば、むしろこの書体がリアリティにもなる。偽作であれば、もっとそれっぽい筆文字を意識するのではないか。
現物を目の前にして、いっそう謎は深まるばかり。まさしく、古代史ミステリーの醍醐味がここにある。
なお、「日本中央」の正しい読みは「ひのもとまなか」であるとされ、かつて東北地方を「ひのもと」と読んだ時代があることもわかっている。
まだ日本という国名が存在しない時代に彫られた文字であることを踏まえれば、東北征伐の証しとして建てられた石碑と考えることもできよう。
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以上、友清哲氏の新刊『消えた日本史の謎』(知恵の森文庫)から再構成しました。謎の構造物、おかしな物体、奇妙な伝承、未解明のパワースポット…不思議をめぐる旅の記録です。