ライフ・マネー
絶対に首を切らなかった日本の「名経営者」(3)後藤卓也
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2018.10.10 11:00 最終更新日:2018.10.10 11:00
アパレル大手の三陽商会が3度目のリストラをしたり、大正製薬が創業以来初めてリストラしたりと、相も変わらず、リストラのニュースが流れ続ける。
かつて、日本企業には「絶対に首を切らない」と宣言した数多くの経営者たちがいた。そんな名経営者たちを紹介していこう。
1998年4月23日。花王社長だった後藤卓也は真っ先に工場に向かった。前日、情報事業からの撤退を発表したばかりだった。不安のなかにたたずむ工場従業員を前に、後藤は決意を述べたという。
「雇用は守る。花王で頑張っていただきたい。どうしても情報事業を続けたい人には会社が責任をもって仕事を紹介する。情報事業に参入したことは間違いではなかった。何もしないより挑戦するほうがはるかに評価できる。ただ環境変化が予想以上だった」
花王といえば、洗剤などの家庭用品や化粧品などのイメージが強いが、フロッピーディスクを扱っていたことは意外と知られていない。
界面化学で培った独自の技術を生かし、フロッピーなどを扱う情報事業は、1997年には売上高800億円、花王の総売上の1割に及び、世界シェア1位を争った。
だが、参入時の1986年に1枚700円だった価格が、1998年には3枚100円と予想を超えて下落。いずれ足を引っ張ることは明らかだった。
「フロッピーディスクの競争で揉まれてきた経験や海外のコンピューターメーカーとの交渉経験は、日用品や化粧品などの花王の本業のなかで必ず生かせる」
後藤の力のこもった言葉を、後に社員たちは涙ぐみながら振り返ったという。約500人いた関連社員の大半が花王にとどまり、他の部署に移った。経済誌記者が言う。
「後藤さんは『簡単にリストラするような経営者だったら誰もついていこうとは思わないよね』と話していたが、経営トップの直接の話に社員にも安心感が生まれた。
注目すべきは、3人の役員の降格と、後藤さんを含めた役員を減給処分としたものの、現場の関連社員を閑職に追いやるようなことはしなかったことだ」
花王初の飲料事業参入となり、爆発的なヒット商品となった健康緑茶の『ヘルシア』のブランドマネージャーも、当初は情報事業出身者だった。また、化粧品のファンデーションで、ラメを均一に入れ込む技術はフロッピーディスクの技術の応用だったという。
2004年の社長退任時に「凡人として自分ができることを粛々とやってきただけ」と語った後藤は、会長になってから、地方の現場を回った。有給休暇が少ないという些細な話にまで耳を傾け、現場で聞いた話をマネジメントの問題に落とし込んだ。
「雇用を守ることは企業の使命と話していた。後藤さんの美学だったのでしょう」(前出・経済誌記者)