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絶対に首を切らなかった日本の「名経営者」(6)美川英二

ライフ・マネー 投稿日:2018.10.13 11:00FLASH編集部

絶対に首を切らなかった日本の「名経営者」(6)美川英二

 

 アパレル大手の三陽商会が3度目のリストラをしたり、大正製薬が創業以来初めてリストラしたりと、相も変わらず、リストラのニュースが流れ続ける。

 

 かつて、日本企業には「絶対に首を切らない」と宣言した数多くの経営者たちがいた。そんな名経営者たちを紹介していこう。

 

 

 1915年、横河民輔が計測機器メーカーとして創業した横河電機は、石油ショック時の1975年、雇用リストラの危機を迎えた。300人の人員削減案が浮上するなかで、社長に就任して間もない民輔の三男・正三が「私は、1人の従業員も解雇しない。誰も犠牲者にしない」と宣言し、これが雇用確保という同社の企業精神になる。

 

 その精神を受け継ぎ、「会社は家族」の理念で同社を大いに発展させたのが、1993年に社長に就任した美川英二だった。

 

 美川は1933年、大阪生まれ。慶応大学ラグビー部で4年時に全勝優勝を果たした後に入社した。入社早々、上司を殴ったという武勇伝の持ち主だが、かつて同社を取材したジャーナリストは、「取材すると、美川社長のフェアな人柄が社員を大事にしていることが伝わってきました」とし、こう続ける。

 

「彼は36歳で人事課長になってから、当時はまだどこの会社も採用していなかった改革をおこないました。完全週休2日制、定年退職者に第2の会社人生を提供する会社の設立、55歳から60歳への定年延長の実施、タイムカードの完全廃止などです。

 

 タイムカード廃止に反対する役員に対し、『管理者側は社員を信頼するという立場に立つべき』と言い、美川氏は『横河ファミリー』というキーワードを持ち出し、『横河電機の社員は家族だ。家族を信頼できないでどうするのか』と説き伏せたのです」

 

 美川が言う「社員は家族」の精神は、1983年の北辰電機との合併でも発揮される。当時の社員数は2800人。これが合併で倍増する事態にも、双方の雇用を守ることを前提に、美川は「何としてでも食わせます」と横河正三社長に語り、決断を促したという。

 

 1993年、社長に就任した美川を待ち受けていたのはバブル崩壊後の不況だった。営業利益は2年前の10分の1以下にまで落ち込んでいた。リストラの嵐が吹き荒れるなかの1994年の年頭挨拶で美川はこう断言した。

 

「我々は伝統ある『横河ファミリー』の一員です。家族である以上、社員の1人たりとも首にしません」と。

 

 そして、社員を首にしないために大幅なコスト削減作戦を実施したのだ。さらに、1997年、自主廃業した山一證券から36歳以上を20人採用することを決めたのも美川社長だった。

 

「単に終身雇用ということではなく、必要な人材として雇っていることが大事で、横河電機はそれを実践していた。美川社長が言いつづけてきた精神を1つの方法として他の経営者が学んでくれたらいいなと思いました」(前出のジャーナリスト)

 

 風雲児・美川は、1999年6月、65歳という若さでその生涯を閉じた。

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