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広報一筋の男が見つけた「高級外車とクラシック音楽の共通項」

ライフ・マネー 投稿日:2018.10.18 06:00FLASH編集部

広報一筋の男が見つけた「高級外車とクラシック音楽の共通項」

 広報と宣伝は似ているが、根本的な違いがある。広報は主として、新聞や雑誌に商品の記事や写真を載せてもらうために、メディアの記者や評論家などに働きかける。

 

 一方宣伝は、広告を使って消費者に直接商品の情報やイメージを伝える。間接的か直接的か、費用が不要か必要かという大きな差がある。

 

 相田武将さん(54)は大学卒業後、25年以上にわたって広報の道を歩いてきた。

 

「父が新聞記者だったので、新聞記者志望だった。しかし、入った小学校が大学までの一貫教育で、受験勉強をしたことがなかった。そのせいもあり語学の筆記試験が不出来で、入社試験に落ちてしまった。

 

 就職浪人という形を取り、4年生を2回やってトライしたが、駄目だった。2浪と同じになり、潮時と考えた。学生課の求人募集を見ていてヤナセに目が止まった。車好きだったので、試験を受けて入社した。1989年のこと」

 

 ヤナセは国内に多くの拠点を持つ高級車の総輸入販売元であり、クルーザー、アパレル、宝飾品など高級商材を扱う商社でもあった。

 

 相田さんは役員面接時に、記者志望だったのでプレスの気持ちがわかると、広報への配属希望を出した。広報の男子新入社員採用は5年に1人のペースだったが、ラッキーなことにその5年めにあたった。

 

「希望の広報に入って鍛えられた。仕事はアウディやフォルクスワーゲン、GMの車両を雑誌やテレビに貸し出すのがメイン。派手に見えるが、毎朝、貸し出し車両を自ら洗車する日々が続いた。

 

 その後、新車発表会や国内外の試乗会を企画し、プレスと強い信頼関係を築いていった。当時、評論家の大御所は徳大寺有恒さん(故人・1939〜2014)。年齢も知識も全然違うし、怒られ、鍛えられた。徳大寺さんに名前を覚えられて、認められることがひとつの目標だった」

 

 15年間勤めた。その間に海外メーカーが日本支社を作り、独自に宣伝・販売をおこなうようになった。ヤナセは宣伝・広告の権利を持つ車の輸入権から手を引くことになった。輸入権を持つために、不人気車種も輸入しなければならない契約の仕組みが、経営を圧迫してもいた。

 

「キャデラックとサーブの広報を一任されていたが、最後は記事を書いてくれる人たちに車を貸せないほど、経費を削減された。仕事相手にも何もしてあげられない。それがイヤだった。がむしゃらに働いてきたので、もういいかなと……」

 

 ヤナセを辞めて1年後、知り合いから1952年創立の歴史ある声楽家団体・東京二期会の広報を頼まれた。大きな転機だった。

 

「2005年からオペラの広報を手伝っている。音楽は好きだったが、クラシックには疎かった。初めは無理だと思ったが、ヤナセ時代に培ったハイエンド(高品質、高価格)な商品の広報と変わりはなかった。

 

 メインは年に4、5回ある本公演の広報。とりわけ、チケットを売るためのバックアップ。車がチケットに替わった。

 

 オペラの広報に新しい風を取り入れたと自負している。稽古場を一般の方に見てもらうことや、クリスマスに東京ミッドタウンで、突然パフォーマンスをおこなうフラッシュモブを企画した。

 

 J‐POPも歌えるトップ歌手とCDも作った。今、歌手たちは業界の行く末を不安に思い、彼らなりにオペラの認知向上に努めている。広報という枠を越えて、少しでもそのお手伝いをしていきたい」

 

 7月に上演されたオペラ『魔弾の射手』では、演出家の意向を反映して元宝塚歌劇団宙組のトップスター・大和悠河に交渉。彼女の出演は話題を呼んだ。

 

 11月の日生劇場では、俳優・大和田伸也が『後宮からの逃走』でオペラの舞台に立つ。2019年には宮本亜門演出の舞台もあり、オペラ界も進化しつつある。

 

 ところで、相田さんは晩婚で、40歳のときに25歳の女性と結婚した。そして10年めに娘を授かった。

 

「仕事もパパもまだ新米……」

 

 子供ができたのはひとつの転機。生活が変わり、人生の価値観も変わった。「今の目標は、幼稚園の運動会で、若いお父さんたちと走るときに転ばないこと」だそうだ。

 

(週刊FLASH 2018年10月16・23日合併号)

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