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ニッポンにある“外国”「高田馬場・リトルヤンゴン」を行く!
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2019.01.21 16:00 最終更新日:2019.01.21 16:00
食、宗教、言葉……異国の地で、同じ国の出身者が固まって住むのには理由がある。日本人と外国人が歩み寄って暮らしている東京都新宿区の通称「リトル・ヤンゴン」へ、日本の将来を考えるヒントを探しに行った。
学生街でもある高田馬場駅周辺は近年、ミャンマー料理や物産の店が急増し、その数は20軒以上。東京メトロのCMにも取り上げられ、ちょっとした観光地になっている。
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もともと西武新宿線・中井駅付近に1990年代、ミャンマー人僧侶が寺院を開いたため、出身者が集まるようになったものが、近くの高田馬場まで移ってきたとされている。
チョウチョウソーさんが経営するレストラン「ルビー」もそのひとつだ。1988年に軍事クーデターが勃発したため、民主化運動への弾圧を逃れ、1991年にタイ経由で日本に来た。
「来日当時は、日本語で10まで数えることもできませんでした。1階に4畳半が2つ、2階に6畳と2畳半というアパートに、14人で住んでいました」
1998年10月に難民認定されたことで、強制送還される恐れもなくなり、はなればなれだった妻・ヌエヌエチョウさんを呼び寄せることもできた。
2002年に開店した「ルビー」には、ミャンマーの若者が「おふくろの味」を求めて集まるようになっている。こうした若者たちの相談に乗るのも、コミュニティの大きな役割だ。
「さまざまな問題があります。でも、嫌なことがあっても、仲間で集まって、ジョークにして語り合うことで、ストレスを溜め込まない。それがミャンマーの国民性なんです」
(週刊FLASH 2019年1月22日号)