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居酒屋甲子園で開眼した男「三方よし」のビジネスで攻める

ライフ・マネー 投稿日:2019.01.31 11:00FLASH編集部

居酒屋甲子園で開眼した男「三方よし」のビジネスで攻める

 

 会議室のボードに映し出された折れ線グラフ。グラフは山あり谷ありだが、全体としては右肩上がりで推移している。「44年間の、私自身の幸福度を表わしたものです」と説明するのは益子雄児さん。

 

 グラフは18歳と29歳の二度、極端に落ち込んでいる。株価のグラフなら大暴落であり、そのときがもっとも不幸だったことを示している。

 

 

「18歳のときに父親が急死しました。受験前だったので、急遽、茨城の実家から電車通学ができる都内の大学に、志望校を変えました。

 

 大学卒業後はヤマト運輸の子会社・ヤマトシステム開発に就職して。ホームページの制作が始まったころで、その営業を担当しました。その後飲食店と関わるようになり、いろいろなシステムの導入を提案したのですが、なかなかうまくいかない。

 

 そこでセミナーを開催して飲食店との接点づくりを考えました。講師をお願いしたのが『つぼ八』の創業者の石井誠二氏と、私と同世代で、『てっぺん』という居酒屋のオーナーの大嶋啓介氏。2人の著名な居酒屋経営者の対談をおこないました」

 

「居酒屋から日本を元気にする」と掲げていた大嶋氏は、2006年に日本一の居酒屋を決める「居酒屋甲子園」を立ち上げた人物だ。

 

「うちの会社も協賛企業として参加し、1回めを見たのですが、震えが止まらないほど感動しました。自分と同年か、年下の若者がチームを引っ張り、自らを鼓舞しながら夢や希望を語るのです。自分も頑張ってきたつもりでしたが、まだまだでした」

 

 2回め、3回めは事務局に入り、夜や週末を利用して大会の準備に取り組んだ。

 

「業界活性化の思いを絶対に諦めない大嶋さんや、全国の飲食店経営者に出会えたことが転機となりました。32、3歳のころです」

 

 それだけではない。「居酒屋甲子園」を通じて、ROIの創業者である恵島良太郎氏と出会ったのだ。

 

「ROIの創業は2004年、恵島が26歳のとき。初めて会ったのは創業間もないころ。2歳年下の恵島に惚れたのと、メイン事業の『ファンくる』のビジネスモデルが、クライアント、ユーザー、ROI『三方よし』の優れたものであることに魅力を感じました。

 

 それで2008年、34歳のときに入社しました。社員数が1000名以上の企業から、10名ほどのベンチャー企業へ。無謀でしたが間違ってはいなかった」

 

 事実、マレーシアに移住した前代表の後を受け、2017年、益子さんは事業を継承する形で代表取締役社長に就任した。

 

「ファンくる」のビジネスは、 飲食店と100万人を超える消費者の会員を、ウェブ上でマッチングさせて店のモニターをおこなうもの。

 

 会員は選んだ店に行った際に、店のチェックをする。その謝礼として、後日飲食代の一部が戻る。店は客から味やサービスなどの評価を得ることができ、店の改善に利用できる。「ファンくる」を運営するROIは調査結果をまとめ、その対価を得る。つまり、三方よし。

 

「入社時は会員数が10万人に満たなかったが、今は100万人超。100万人とはいっても国民の成人男女の1%程度です。もっと『ファンくる』を知っていただけるようにしたい。

 

 当面は会員数300万人を目指すと同時に、飲食店に限らず、サービスの対象を広げていきたい」

 

 ところで、29歳時の人生最大の落ち込みとはなんだったのか? じつは車を運転中に、自らの過失でオートバイと衝突する事故を起こしたのだ。

 

 相手は50代の男性。バイクのスピードが出ていたため、大事故になった。被害者は集中治療室に入るなど、退院までに4カ月を要した。何度も見舞いに行ったが、はじめは本人も家族も会ってはくれなかった。

 

「保険会社にまかせて逃げてしまおうかとも思いましたが、やはり自分でお詫びが言いたかった」

 

 毎週病院に通い、退院の際は食事に誘われ、「大きな事故だったが、相手が益子君でよかった」と言われた。誠意が通じるまでに時間はかかったが……。

 

「そのひと言ですべてが救われましたし、逃げなければ道は開けることを痛感しました。ここから人生が見事に好転しました」

 

 かのリンカーン大統領も同じことを言っている。

 

「意志あるところに道は開ける」

 

(週刊FLASH 2019年2月5日号)

 

 

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