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日本の聖地を行く/人類全体の故郷とされる奈良・天理教本部

ライフ・マネー 投稿日:2019.03.01 11:00FLASH編集部

日本の聖地を行く/人類全体の故郷とされる奈良・天理教本部

 

 日本の各地には数多くの聖地が存在している。近年では「パワー・スポット」ということばが生まれ、若い人たちを中心に関心を集めているが、パワー・スポットの多くは従来なら「聖地」と呼ばれていた。
 そんな日本の聖地を、宗教学者の島田裕巳が旅をする。

 

 

 奈良県天理市にある天理教教会本部は、聖地として強い印象を残す場所だが、信者以外にはそこを訪れる人は少ない。車でたまたま近くを通りかかり、詰所(信者のための宿泊施設)が建ち並ぶ光景に接して、いったいここはどういう場所なのかと疑問をもった人もいるだろう。

 

 

 詰所や教会本部の建物に目を奪われた人でも、教会本部に入ってみようとまでは思わないだろう。ところがそこは24時間いつでも開かれていて、誰もがそこに立ち入ることができる。信者以外の人間でも立ち入りを咎められることはない。

 

 教会本部の中心は「ぢば」と呼ばれている。漢字を当てれば「地場」となるが、そこは天理教の信仰においては特別な空間、つまりは聖域になっている。もともとそこは天理教の開祖となった中山みきが住んでいた屋敷であったが、天理教の信仰では「人類が発祥した場所」とされている。

 

 そこがたんに天理教という宗教が生まれた場所という位置づけなら、特別なことではない。だが天理教では、人類全体が生まれた場所という解釈をとっている。だからこそ天理の駅などには、「おかえりなさい」という看板が立てられている。人類発祥の地である以上、そこは人類全体の故郷なのである。

 

 天理教教会本部は天理教の信者だけの聖地ではなく、人類全体の聖地だということになる。信者以外の人間が入ることを許されるのも、それが関係する。

 

 ぢばには「かんろだい(甘露台)」が据えられている。甘露とは、インドの古代神話に登場する「アムリタ」のことで、中国などでは天から降ってくる甘美な霊薬としてとらえられている。

 

 そうした信仰が天理教にも取り入れられ、かんろだいには甘露が降るとされている。そのため、かんろだいの上、教会本部の屋根の中心は四角に切り開かれている。

 

 私が天理教教会本部を訪れたとき、雨や雪に降られたことがない。そのため、私は見たことがないが、雨や雪が降れば、そのままぢばとかんろだいに滴り落ちるようになっている。

 

 ぢばを中心に東西南北に礼拝場が作られている。すべて畳敷きで、4つの礼拝場を合わせると3157畳にも及ぶ。朝と夕方のおつとめのときには、そこに多くの信者が集まるが、それ以外の時間でも、信者たちは思い思いにそこを訪れ、手振りをし、神に祈りを捧げていく。信仰のない人間でも、その光景に接すると自ずと厳粛な気持ちになっていく。

 

 教会本部の建物の真北には教祖殿があり、その少し西には祖霊殿がある。こうした建物は、全長800mの2階建ての回廊によって結ばれている。

 

 回廊には屋根がついていて、廊下は相当に広い。しかも、回廊全体がつねにぴかぴかに磨かれ、ゴミ一つ落ちていない。それは「ひのきしん」と呼ばれる信者の奉仕活動の賜物で、回廊をまわってみると、どこかで必ず床や壁などを磨いている信者の姿を見かける。

 

 信者たちは皆、黒い法被を着ている。それは天理教の信者の制服のようなものである。

 

 法被にはそれぞれの地方の教会の名前が記されていることもあるが、一番多いのが「修養科」と書かれたものである。修養科とは天理の街に3ヵ月間泊まり込んで行われる研修会で、その一環としてひのきしんが義務づけられている。

 

 一般の信者に3ヵ月もの長い研修が課せられるような宗教は、ほかにない。会社を3ヵ月休むわけにはいかないことが多く、会社を辞めて修養科に入るという信者もいる。

 

 教祖殿は、開祖である中山みきが今も住んでいるとされている場所である。みきは明治20(1887)年に90歳で亡くなっている。当時としては相当に長命だったが、生前のみきは、人間の寿命は115歳まであると公言していた。そのため、信者たちはみきが90歳で亡くなるとは考えもしていなかった。

 

 信者たちは、予想もしなかったみきの死に激しく動揺した。なかには呆然として、信仰に対する疑いを抱く者さえあった。そこで教団が持ち出してきたのが、「存命の理」という考え方である。みきは自らの本来の寿命を25年縮めて、信者たちの救済にあたるという教えが作り上げられていく。

 

 つまり、みきの肉体は失われたが、その魂は教祖殿に永遠にとどまっているとされるようになったのである。実際のみきの遺体は、中山家の墓に埋葬された。

 

 したがって、教祖殿には今でも1日に3度食事が運ばれている。季節が変わるときには衣替えも行われている。テレビが普及しはじめた時代には、テレビが持ち込まれたという話を聞いたことがある。今ならパソコンが持ち込まれていたとしても不思議ではない。みきの魂はインターネットを操っているのかもしれない。

 

 これだけ特殊な空間はほかにない。私は、誰もが一度はそこを訪れるべきだと思っている。少なくとも宗教とは何かを考える上で、天理教教会本部のなかに入ってみるという体験は相当に役に立つ。

 

 

 以上、島田裕巳氏の近刊『日本の8大聖地』(光文社知恵の杜文庫)から再構成しました。日本の聖地の知られざる謎に迫ります。

 

●『日本の8大聖地』詳細はこちら

 

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