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進め「ご当地おでん」探検隊/肥後克広は沖縄おでんの豚足ラブ
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2019.03.09 16:00 最終更新日:2019.03.09 16:00
全国のご当地おでんが、ほかの地域でも知られるようになり、都市部の郷土料理屋で出す店も増えてきた。ダチョウ倶楽部のリーダー、那覇市出身の肥後克広は「沖縄では一年中おでんを食べる」と語る。
「エアコンの普及とコンビニの登場で、若い人もおでんを食べるようになったからね。かつてはカウンターだけの小料理屋、オバアが1人でやってるような赤提灯の店で出してた。おでんに泡盛でチビチビという感じの、ちょっと大人の食べ物。お姉ちゃんのいる店に行ったアフターで寄るとかね。
気候のせいもあって、家庭の食卓にも乗らなかったけど、今の沖縄では、オフィスなんか冷房をガンガン効かすでしょ。夏の室内が、案外寒いんだよね。だから、『コンビニおでん』もかえって夏場に売れるらしいよ」
肥後の幼少期はまだ、沖縄はアメリカ占領下。本土復帰を果たしても、食文化にはその影響が色濃く残った。
「焼肉屋も、鍋を出す店もめったになくて、ステーキ屋だけはアホみたいな数あった。それが今では本土のチェーン店も入り込んできたし、地豚を使ったアグーしゃぶしゃぶなんかも出てきたね。
沖縄おでんの特徴は、まずはその豚。トロトロに煮込んだテビチ(豚足)がいちばん旨い。俺、東京に出てきて、焼肉屋で出す豚足ボイル、まったく受け付けなかった。『煮込めば旨いのに』って、ずっと思ってたよ(笑)」
東京で食べるおでんにも思い出がある。
「まだ売れないころ、カウンターの真ん中に、人が泳げる『生け簀』みたいなおでん鍋を置いた店が、下北沢にあった。『紀文』って言ったっけかな、もうなくなったけど、そこにはしょっちゅう行ったね。
付近の劇団員とよく鉢合わせになって、WAHAHA本舗の久本(雅美)さんや、柴田(理恵)さんなんかとも、そこで初めて会った気がする。そこのおでんを食べて、東京のおでんそのものだと思ったね」
自ら厨房に入ることも多い肥後だが、「おでんは手間がかかるから、さすがに作らない」そうだ。だから、東京でも高円寺の「うりずん食堂」で食べられると聞き、張り切って駆けつけてくれた。
「テビチがしっかり煮込まれてる。やっぱこれだね~。世の中、豚足が苦手な人が多いが、こいつを食べれば変わりますよ」
沖縄おでんの特色は、なんといってもテビチから出る「出汁」。「うりずん食堂」は、2018年で40周年を迎えた沖縄料理店の老舗「抱瓶」の系列店だ。肥後も上京以来のファンだという。
階下の沖縄そば屋ともども、沖縄おでんを出す。本場に比べ、やや出汁はライトだが、豚の醸す濃厚な味わいはやはり他地域のおでんとは大きく異なる。
極太のソーセージも入るので、マスタードとも合う。ダチョウ倶楽部といえば、「おでんアチチ」のお約束ギャグ。店員さんも巻き込み、ノリノリでかましてくれた。
肥後は、駆けつけ3杯のオリオンビールを飲み干した。その酔いも手伝い、話は伝説の「おでん芸」におよぶ。
「上島(竜兵)の『おでん芸』はね、そもそも『オレたちひょうきん族』で(片岡)鶴太郎さんがやってたギャグ。自分らも見てたし、笑ってた。鶴太郎さん、本気で嫌がってたね。あれやって、何日か口ん中火傷して大変だったよって(笑)。
それをいつしか俺らがやるようになって……(いつからか)記憶がないんだよ。鶴太郎さんの前で一度、サプライズ的に番組で無理矢理やって、そしたら芸として認めてくれたんだよ」
故郷、沖縄おでんにはウチナータイムが流れているようだ。肥後はすっかり寛いで、いつの間にビールからハイボールにスイッチして、まだまだ長い夜を楽しんでいた。
ひごかつひろ「ダチョウ倶楽部」リーダー。20年以上にわたり「おでん芸」を披露する