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女性杜氏が支える創業350年超の小さな蔵元、一躍全国区に
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2019.03.12 11:00 最終更新日:2019.03.12 11:09
今でこそ、笑って振り返ることのできる話がある。
「蔵の跡取りになることを決めて、東京農業大の醸造学科に入学が決まり、いろいろ東京に出ようとしたときに母がぽつりと、『戻ってきたときに、蔵がなかったらゴメンね』と。その言葉はやはり記憶に残っています」
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こう話すのは、岡崎酒造12代目蔵元の岡崎美都里さん。
3姉妹の末っ子だった美都里さんは、親が楽しそうに商売していた姿、冬に若い衆がどこからかやってきて酒造りする様子を見て、「私がやらないと言ったら蔵は終わるんだよね」と、あまり重荷に感じることなく、蔵を継ぐことを決意したという。
彼女が東農大に入学したおよそ20年前は、日本酒を作れば売れるという時代はとうに過ぎ去り、ビールやワイン、その他リキュールなどが隆盛の時代。
「私は当時何も知らなかったのですが、蔵の経営は相当に厳しかったようです」
両親は、娘が戻ってくるまでなんとか蔵を持たせたいと、卸が主だった酒の販売を、蔵元直売の「店売り」に切り替えることで、なんとか売り上げを回復させていった。
「直接売ることでだいぶ生き残れたし、蔵が北国街道の古い街並みにあり、観光地になったことも幸いしました。
父が、蔵の建物や歴史資源を大切にしようと、上田市と協力して北国街道柳町街作り協議会を立ち上げたんです。父はことあるごとに『地元の人があってこそ蔵は成り立つ。地元を大切にしなさい』と言っていました」
徳川4代将軍・家綱の頃、1665(寛文5年)年に創業したという岡崎酒造。創業当時からの銘柄名は『亀齢』。現在はその頭に信州がつく。
美都里さんが大学を卒業後、酒販店でおよそ3年の勤務を経て蔵に戻ったとき、それまで酒造りを行っていた杜氏が高齢のため引退したいと申し出てきた。
急転直下、先輩杜氏のもとで4年間修行。そして5年目に杜氏を引き継ぎ、美都里さんが酒造りの陣頭指揮を取ることになった。
「とにかく何もわかりませんから、一生懸命造ることしかできません。周囲も『まずは米を発酵させて日本酒を造りなさい。それが出来たらいいから』と言ってくれるような状況で」
先代の味を引き継いでいけるか、そればかりが頭にあったという。
「初心忘るべからず」の家訓は、杜氏になったばかりの2003年頃、先代杜氏から繰り返し言われた言葉だ。
「杜氏の世界は毎年1年生のつもりでやっていくんだよ、と。この言葉は年を重ねるごとに重く身に沁みてきます」と美都里さん。
慣れてくると、ここは手間を省こうとか、誰かがさっき洗っていたからもう一度洗う必要はないのでは、といった考えが頭をもたげてくる。そんなごくわずかの心の隙も許さない、戒めとなっている言葉だ。
「酒造りの作業にはすべて意味がある。ていねいにその意味合いを考えながら作業していくことで、いいお酒ができているのかな、と思います」
他に伝わっている家訓を聞いた。
「そうですね。特に壁に貼ってあるとかはないですが、『賭け事は絶対にするな』という言い伝えもあったみたいです。でも、祖父の代より以前ならともかく、両親の頃には賭け事なんて言ってられる経営状態ではなかったですから。『そんなことするわけないよね』と家族で笑ってました」
長野でも1、2を争うくらい小さな蔵だという岡崎酒造。その蔵が全国に知られるようになった転機は、美都里さんの夫・謙一さんが入社した6年前。子供も生まれ、生活のリズムも変わったのだが……。
「とにかく先代と同じ味を、といった部分から、家族が蔵に入って酒造りすることができるようになったことで、こだわりを持った酒造りへとシフトしていきました。
夫は元都庁の職員だったこともあり、顧客の立場から第三者的な意見で冷静に判断してくれて、それも大いに役立ちました」
そんな美都里さんの醸した酒が、関東信越国税局の第86回酒類鑑評会(2015年)で最優秀賞に輝く。女性杜氏として初の最優秀賞受賞で、「お母さん杜氏が造った酒」などと報道され、蔵は一気に全国区に。
『信州亀齢』は「香りがフルーティで華やか。それでいて軽快ですっきりしたキレのある飲み口」と評価され、今は東京など大都市にも出荷される人気銘柄となった。
「家族で目がかけられるだけの量を造っているので、急激に生産量を増やすようなことはできません。ですが、無理のない範囲で造りの量を増やし、『信州亀齢』を待っている方にお酒を行き渡らせるのが今の目標です」
上向いてきた利益の大半は、保管用の冷蔵庫を3台導入したり、米をより綺麗に洗えて吸水率などのデータもとれる洗米機を導入したりと、酒造りそのものに対する設備投資に回している。
また、地元・上田の地で棚田の保全にも力を入れ、棚田オーナー制を導入。そこでできた信州の酒米「ひとごごち」を買い取って農家の経営を助けつつ、地元の米と水でできた日本酒を造ろうとするなど、父の思いを汲んだ地元密着の経営を心掛けている。
造りを離れれば、優しい母の顔がのぞく。
「女女男の3兄弟なのですが、子供たちには『継げ』とは言わないようにしています。でも、小5で末っ子の太樹が『蔵が400年になったら何をやればいいのかな』などと時々つぶやくようになって……。もしかしたら継いでくれるのかな? と。そうなったら13代目誕生ですね(笑)」
<蔵元名>
岡崎酒造(長野県)
創業354年(1665年)
<銘柄>
信州亀齢
長野県上田市中央4‐7‐33
http://www.ueda.ne.jp/~okazaki/
<社訓>
初心忘るべからず