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負けない人生を選ぶなら「しっぺ返し戦略」と進化生物学教授
ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2019.04.06 16:00 最終更新日:2019.04.19 17:09
ヒトの心には、怠け者や利己的な者を憎み、公平さを尊ぶような心があるように見えます。私たちの持つ公平さを好む傾向は社会実験でも確かめられています。有名な心理実験の中に最後通牒ゲームというものがあります。
このゲームでは、Aさんが1万円を渡されて、これをBさんと分け合うように言われます。分ける金額はAさんが自由に決めていいのですが、もしその額をBさんが受け取ってくれなければ1万円は没収されてしまいます。
無事にBさんが受け取ってくれれば、AさんとBさんはAさんが決めた額をもらうことができます。こうした状況で、いったいAさんはBさんにいくら渡すべきでしょうか?
実験者の国籍などによって金額には違いがあるようですが、最も一般的な対応は平等に半分の5000円をBさんに渡すことのようです。この場合は、まず、間違いなくBさんは受け取ってくれます。したがって、AさんとBさんは平等に5000円ずつを手にすることができます。
一方で、Bさんに渡す金額を3000円未満にすると、Bさんは受け取りを拒否する場合が多く、AさんもBさんも1円ももらえなくなることが多いこともわかっています。
Bさんの立場では、たとえ3000円であっても受け取らないよりはましなはずですが、多くの人はそうは考えず、不公平な申し出を受けるくらいなら、損をすることをいとわないのです。これは自分が損をしてでも公平さを求める、人の心が表れたものだと考えられています。
ところが、同じ実験をチンパンジーでやると全く違う結果になります。この場合、お金ではなくブドウを使い、チンパンジーでも理解できるような実験装置を使います。チンパンジーの場合は、どんなに取り分が少なかったとしても、Aが提案した分をBは受け取るのです。
つまり、チンパンジーは公平性なんかに興味はなくて、自分が得をするかだけで判断しているようです。ヒトよりもむしろ合理的な判断のように思えます。
最後通牒ゲームから見えてきたのは、チンパンジーのほうがむしろ合理的に自分の利益だけを考え、ヒトはむしろ利益を損なっても公平さを重要視するということです。
ヒトとチンパンジーのやり方は、どちらのほうが理にかなっているのでしょうか? その問いは、ゲーム理論で取り扱われています。これから説明する研究によると、公平さを重要視するヒトのやり方のほうが長い目で見るとうまくいくことがわかってきています。
ここでもう一度単純なゲームを考えたいと思います。このゲームには、たくさんの人が参加していて、全員が「協力」と「裏切り」と書いた2枚のカードを持っています。
ランダムに2人ずつペアを作って、1枚だけカードを出し合って勝負をします。2人とも「協力」のカードを出せば、2人とも3点がもらえます。
片方が「協力」、もう片方が「裏切り」を出したなら、裏切ったほうだけが5点もらえて、協力したほうは1点ももらえません。どちらも「裏切り」のカードを出せば、どちらも1点だけもらえます。
そしてまた新しくランダムに2人ずつペアを作って勝負をすることを何度も繰り返します。このゲームでは、モラル的なことは考慮せず、全員がとにかく自分の得点を増やすことだけ追求するとします。
最終的に最も高得点を挙げる戦略はどんなものでしょうか? 政治学者のアクセルロッドは、このゲームで最も有利な戦略を知るために、コンテストを行いました。世界中の研究者から様々な戦略を集めて、お互いをランダムに選んで勝負をさせることを数多く繰り返しました。そしてどの戦略が一番得点を挙げられるかを競わせたのです。
2回のコンテストの結果、どちらの場合も最も高得点をたたき出したのは、しっぺ返し戦略と呼ばれるものでした。
この戦略はとても単純で、初めて会った人には協力して、2回目からは前回相手にやられたことをやり返すという戦略です。つまり前回裏切った相手には裏切り返し、前回協力してくれた相手には協力をし返すということです。多くの人がこの戦略をとれば、基本的にはみんなが協力をするので、全員が高い利益を上げられます。
もし、裏切り者が出現したとしても、一度でも裏切ったら、もう二度と協力してもらえなくなるので、裏切り者はそれ以上の利益は上げられなくなります。
この戦略が大多数になると、裏切り者は長期的には得をしないのです。しっぺ返し戦略をとっていれば、裏切り者に搾取されることなく安定に高得点を挙げることができます。
実際の人間社会においても、多くの人間はこの戦略に近いものをとっているように見えます。普通、よっぽど変な人でない限り、初対面の人に対しては愛想よく礼儀正しくするでしょう。
しかし、一度でも裏切られたら付き合い方を改めるでしょう。まさにしっぺ返し戦略と同じです。
さらに、実際の人間社会の場合には評判というものがありますので、一度でも裏切った人の評判はすぐにみんなに広がってしまいます。そうなれば、直接裏切られた人以外でもその人との付き合いを控えることになり、しっぺ返し戦略はますます効果的になります。私たちの裏切りを憎む心は、安定的に利益を上げるために進化した結果だと考えることができるのです。
しっぺ返し戦略の面白いところは、この戦略をとっている人はいつも直接の勝負では勝っていないということです。例えば、Aさんがしっぺ返し戦略をとっていて、Bさんがそれ以外の戦略をとっているとしましょう。
AさんとBさんは何度も勝負をすることになりますが、そのA対Bの直接の対戦成績を見てみると、決してAさんがBさんに勝つことはありません。
なぜなら、AさんとBさんの点に差がつくのは、片方が裏切って片方が協力したときだけですが、しっぺ返し戦略をとっている限りAさんは必ず先に裏切られるからです。
しかしそれでも、いろいろな戦略との勝負を繰り返すとしっぺ返し戦略がいつも最高得点を挙げます。その理由は、しっぺ返し戦略は直接の勝負では勝てませんが、どんな戦略からも平均して高い得点を得ることができるからです。
この事実は人間関係にあてはめてみると興味深く思えます。つまり最も得をするには、直接の勝負で相手に勝ってはいけないということです。むしろ少しだけ負けて相手に花を持たせてやるほうがいいということです。そうやって多くの人と良い関係を結ぶことによって、トータルでは誰よりも高い利益を得られるのです。
ちなみに自然界でもしっぺ返し戦略をとっている生き物がいます。南米に生息するチスイコウモリは家畜などの血を吸って生きています。血は餌としては栄養効率が悪く、2日間連続で血を吸えないとこのコウモリは死んでしまいます。
そこで血を吸うことができた個体は、同じ群れの中の他の個体(血縁はない)に血を吐き戻して分けることが知られています。この分け与える相手の頻度を調べると、以前に分け与えてもらった個体だと頻度が高く、一度も分けてもらったことのない個体は頻度が低くなっています。
これはチスイコウモリが以前の相手の行動を覚えていて、血をくれた個体にはお返しをして、血をくれなかった個体には援助をしないというしっぺ返し選択をしていることを示しています。
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以上、東大大学院で進化生物学を教える市橋伯一教授の新刊『協力と裏切りの生命進化史』(光文社新書)をもとに再構成しました。40億年にわたる生命の歴史において、「協力」と「裏切り」がなければ、単細胞生物からヒトへとつながる進化は起きなかったことを解説します。
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