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新潟から世界へ「焼きあごだし」ラーメンでブームを作る

ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2019.04.25 11:00 最終更新日:2019.04.25 11:00

新潟から世界へ「焼きあごだし」ラーメンでブームを作る

 

 東京のラーメン界に、珍しかった「焼きあごだし」のラーメンで参入してブームを作った。「あご」とはトビウオのこと。焼いたあごで取るだしは、コクと上品な旨味があることで知られる。

 

 高橋夕佳さん(36)は、教員を多数輩出する、新潟大学の教育人間科学部(現・教育学部)出身。ラーメン好きが高じて、7年前に東京・茗荷谷に店を構えた。

 

 

「出身地の新潟では、焼きあごをラーメンに使う文化があります。学生時代に遊びで東京に来たとき、焼きあごだしのラーメン屋さんが一軒もない。これをやったら必ず喜んでもらえるだろうと確信しました。今から15年以上前のことです。

 

 当時から、テレビで東京のラーメン屋さんがよく紹介されていました。大成功しているラーメン屋さんには、スター経営者がいて華やかで夢があって……。それに刺激されて、ラーメン屋を目指す人も多いそうです。私もそのなかの1人でした」

 

 だが、すぐにラーメン屋を始めるつもりはなかった。大学卒業後、スケールの大きな仕事に憧れて、東証一部上場のデベロッパーに就職した。

 

 しかし結婚、出産を機に退職する。19歳のころからつき合っていた彼氏と、想定外の早い結婚だった。そこで人生設計を改めた。

 

「子育ての時期が早まっただけ。20代で仕事に復帰できなくはないし、そのときが来たら、今度こそ社会的、経済的に自立しよう」

 

 その設計どおりに、27歳までに二男一女をもうけた。

 

「復帰後は、仕事に全力で生きると決めていました。きょうだいが3人だったら、子供たちも寂しくないかなと思って。さらにペットも増えましたが……」

 

 2011年、28歳のときに夫と2人で、高樹食研(現・ヒカリッチアソシエイツ)を設立。2012年、茗荷谷で「らー麺とご飯のたかぎ」を始めた。

 

「焼きあごを使ったラーメンを作ることは決めていましたが、実際には営業しながら、2年以上かけて味を調整しました。

 

 いまでこそ、焼きあごは全国的に市場が拡大していますが、開店当時は関東では馴染みのない食材でした。焼きあごの説明をしながら、お客様に食べていただいて、魅力を知ってもらう。それを繰り返しました。

 

 そのうちお客様の反応から、徐々に自分の仕事に大きな可能性を感じるようになりました。世界進出を目標にするようになったのもこのころからです」

 

 2015年2月に茗荷谷の本店を閉め、本店を「焼きあご塩らー麺たかはし」に改名して、新宿・歌舞伎町に移転した。

 

「当時の歌舞伎町は、治安の悪い街という印象がありました。飲食店は大手チェーンばかり。オーナーみずから厨房に立つラーメン専門店は見当たらず、出店には資金と覚悟が必要な街でした。

 

 でも 新宿という巨大な商圏は、やはり魅力的。『そこに、おなかを満たすだけでなく、心も満たす店を作れば、価格や利便性を売りにする大手と差別化ができるし、チャンスがある』と思った」

 

 13席、カウンターだけの小さな店。だが大きな転機となった。高橋さんの思惑どおり、店が大化けしたのだ。2016年からは多店舗展開が始まる。

 

 2018年には、行列が絶えない新宿本店の目と鼻の先に、グループ客が利用しやすいように、広くてテーブル席がメインの歌舞伎町店を作った。これがグループ内でいちばんの売り上げを誇る人気店となった。

 

「うちの第一の特長は、焼きあごに対する専門性。年間の使用量が増え、最近では、焼きあごを素材から開発していて、購買競争力もついてきました。

 

 うちは、水や釜にもこだわって炊いたご飯を、焼きあごだしのスープでお茶漬けにして、おいしく食べてもらうように提案しています。

 

 そこで第二の特長が、地元の新潟の契約農家からコシヒカリを買って、毎日精米していること。最後に、人の成長に時間とお金を使う会社であること。これは相当力を入れていると、自信を持っています」

 

 現在都内に5店舗、中国に1店舗を展開する。5月には大阪に出店予定で、2023年までに国内外で45店舗に増やす計画だ。

 

 高橋さんが現場を離れて3年。経営者として、「たかはし」のいちばんの財産は「人」という考えをベースにして、今日も世界進出の青写真を描いている。


(週刊FLASH 2019年4月16日号)

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