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秘蔵カラー写真で見る「60年前の日本」北海道

ライフ・マネーFLASH編集部
記事投稿日:2020.01.26 16:00 最終更新日:2020.01.26 16:00

 1956年3月、駐留米軍の軍属として初来日したJ・ウォーリー・ヒギンズ氏は、日本人女性と結婚後、国鉄の国際部の仕事を手伝うようになった。

 

 鉄道好きだったヒギンズ氏は、以後、趣味と実益を兼ねて日本中を旅し、当時貴重だったカラーフィルムで、鉄道写真を中心とした日本の風景を撮り続けた。その貴重な写真を、順次公開していく。

 

 

 

 初めて北海道を訪ねた1959年に、何を北海道で楽しんだかと言われれば、遅かれ早かれ消えていく運命にある電車の支線や簡易軌道だった。山や湖といった観光名所というのは、その気になれば後からまた訪ねることができる。

 

 けれども、北海道の道路が整備され舗装される以前でさえ、一部の鉄道はすでに姿を消し始めていた。そして、あのとき楽しんだ小鉄道の多くは、今はもう見ることさえできなくなってしまった。

 

 当時の写真が映し出したのは、開拓の時代から、戦後の急速な経済復興へと大きく変貌していく北海道の姿だったのだ。

 

秘蔵カラー写真で見る「60年前の日本」北海道

札幌 1959年8月2日

 

 北24条から新琴似にかけて、前年に市電を延長した際導入されたのが、正面が一枚窓の「札幌スタイル」と呼ばれるディーゼルカーだった。

 

 架線・変電施設の設備が整わなくても、レールさえ敷設すればすぐに走れたのが最大の強みで、未舗装の道を走る姿が大いに話題になった。

 

 この写真を撮影したのは、話題の鉄北線のディーゼル区間ではなく中心部を走る1系統だが、それでも当時の札幌にはこうした未舗装の通りは残っていた。

函館・五稜郭駅近く 1959年7月25日

 

 洋服の人、和服姿の人、老若男女の活気ある光景。そして、地方の街の中心には蒸気機関車があった。

 

 以上、J・ウォーリー・ヒギンズ氏の新刊『続・秘蔵カラー写真で味わう60年前の東京・日本』(光文社新書)から再構成しました。半世紀以上の歳月を経て、なお色褪せない6000枚の中から、選りすぐりの544枚を蔵出し公開。

 

●『続・秘蔵カラー写真で味わう60年前の東京・日本』詳細はこちら

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