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雨の日も雪の日もリアカーで豆腐販売20年…人生が舞台化された “豆腐屋あこちゃん” の物語/女子アナ日下千帆の「私にだけ聞かせて」

芸能・女子アナ 投稿日:2023.09.10 16:00FLASH編集部

雨の日も雪の日もリアカーで豆腐販売20年…人生が舞台化された “豆腐屋あこちゃん” の物語/女子アナ日下千帆の「私にだけ聞かせて」

菅谷さん(左)と日下アナ

 

 8月のある日、都心の最高気温は33℃でした。じっとしているだけでも暑い真夏日に、重さ100キロもあるリヤカーを引きながら、お豆腐を売る女性の姿がありました。“豆腐屋あこちゃん” という愛称で、地域のお客さまに親しまれている菅谷晃子さんです。

 

 23歳からこの仕事を始めた菅谷さんは、足立区綾瀬、港区西麻布、千代田区麹町の3カ所で、週5日、懐かしい豆腐屋ラッパを吹きながら、20年間にわたって豆腐を売り続けています。もちろん、雨の日も雪の日も休むことはありません。これまでに歩いた距離は地球3周ぶんを超えるそうです。

 

 

――100キロを超えるリヤカーを引きながらの販売は、女性には体力的に厳しい仕事だと思いますが、なぜこの仕事を選ばれたのですか?

 

「話すと長いのですが、私は小学5年のときに転校してから、高校1年までずっといじめにあっていました。クラスメートに無視されたり、“ブス” “チビ” “死ね” など悪口を言われたストレスから、アトピーや喘息の症状が出るようになってしまいました。

 

 そんなひどい状態でしたが、当時は今のようなフリースクールなんてなかったので、どんなにつらくても毎日学校に通うしかありませんでした。

 

 コンプレックスが強くなり、中学に入って反抗期を迎えた頃には、両親に対して『クソババア! 私は産んでくれなんて頼んでない!』などと暴言を吐くようになりました。

 

 うちは父・母・私・妹の4人家族なのですが、私と父の顔がまったく似ていない気がして、母に『私、お父さんと血がつながってないの?』と尋ねたことがありました。母も疲れていたのでしょう。『そうよ』と返事をしたのです。あまりのショックに、学校でも家でも居場所がないと感じた私は、17歳で家を飛び出したのです。

 

 転機が訪れたのは23歳のときでした。フリーペーパーで見つけたお豆腐屋さんの求人に応募して、この世界に飛び込みました。『腕よりも心で販売できる人募集。リヤカーを引いて街へ出て、ぬくもりのある仕事をしてみませんか?』というキャッチコピーに、ピンと来たのです」

 

――実際にお仕事を始めてみて、いかがでしたか?

 

「ラッパを吹くのが楽しくて、ワクワクしました。誰も怒らないし、みんなに褒めてもらえる。ニコニコしていると買ってもらえるなんて、それまでは無理して何もかもうまくいかなかったのに、大違いです。

 

 リアカーの引き売りを始めたことで、目覚ましい変化がありました。誰かに認められ、役に立ち、愛される。この経験から自己肯定感が生まれ、ありのままの自分を愛することができるようになりました。人をうらやむ気持ちを乗り越えられた気がします」

 

――豆腐の引き売りは、心の浄化をもたらすお仕事だったのですね。1日の売り上げを伺ってもいいですか?

 

「最高で1日8万円売れたこともありました。平均は4万円くらいです」

 

――この20年、たくさんのお客さまに恵まれたと思いますが、印象に残っているエピソードを教えてください。

 

「毎週通っていると、お元気だったお年寄りのお客さまがだんだんと老いていき、亡くなることがあります。笑顔で買ってくれていたおじいさんが、だんだん歩けなくなり、亡くなったと連絡が来たことがありました。

 

 寒い日にはカイロを1週間ぶん渡してくれたり、暑い日には一緒にアイスを食べたりして、お会いするのが楽しみな方でした。実は、この方にお会いしてから、“売りたい” という気持ちにとらわれなくなり、毎週会えるお客さまのことをどんどん好きになっていきました。

 

 亡くなったと聞いた私は、泣きながらリヤカーを片づけ、おじいいさんの家に行きました。息子さん夫婦やお孫さんと一緒におじいさんを囲み、たくさんの思い出話をしました。

 

 私は、このおじいさんと最後に会った日、うわの空で対応していたことをひどく後悔しました。その後、おじいさんの家の前を通るたび、玄関の前に座りこんでわあわあ泣いていたのです。

 

 見かねた友人から『おじいちゃんはいなくなったわけではなく、あこちゃんの後ろに回って応援団になったんだよ』と教えられました。その言葉を聞いて、過去や未来のことを心配するより、この瞬間、一瞬一瞬がなにより大事なのだと気づかされました」

 

――その方だけでなく、ほかにも多くのお客さまを見送ったそうですね。

 

「はい。この20年間、引き売りをしながら、数十人のお客さまを見送ってきました。いま日本では8軒に1軒がご老人のひとり暮らしだといわれますが、実際、私がご遺体の第一発見者になることもあります。

 

 そんな経験から、2019年に看取り士の資格を取りました。死は怖いものではなく、死を考えることで生を輝かせようと考え、亡くなる方に寄り添うことが看取り士の役目です。看取る覚悟をもって、毎日楽しくリヤカーを引いています」

 

――お客さまとの感動的なエピソードを本にまとめたそうですね。

 

「はい。4年前に出版された『ありがとうは幸せの贈り物 あこのありが豆腐』(三冬社)に、引き売りを通して得られた幸せについて書いています。おかげさまで、東京5区の学校図書にもなりました。

 

 この本が舞台化されまして、9月29日から10月2日(豆腐の日)まで、築地本願寺ブディストホールで『あこのありが豆腐』が上演されます。奥様を亡くして希望を失った方が、行政や私とのやりとりを通じて再び生きていこうと決意するという実話です。私の役は芳本美代子さんが演じます。千秋楽には、91歳の大村崑さんも出演してくださいます」

 

――今後はどのような活動をしたいですか?

 

「豆腐屋あことして歌手活動をしたいです。『おとうふのうた』というデビューCDも作りました。スーパーのお豆腐売り場でかけてもらえたら嬉しいです。また、学校で私の経験をお話ししたいです。いじめられて、つらい思いをしている子供たちに何かアドバイスできれば、と思います」

 

――この先、いつまで引き売りを続ける予定ですか?

 

「お客さまに会いたいから、体が続く限りは続けようと思います。でも、もしかしたら大恋愛してやめてしまうかもしれないけれど(笑)……それは想像もつかないです」

 

■自分を好きになるための3カ条

 

(1)チャレンジを続ける
(2)あわない場所からは逃げる
(3)誰よりも自分自身をいっぱい褒めてあげる

日下千帆

1968年、東京都生まれ。1991年、テレビ朝日に入社。アナウンサーとして『ANNニュース』『OH!エルくらぶ』『邦子がタッチ』など報道からバラエティまで全ジャンルの番組を担当。1997年退社し、フリーアナウンサーのほか、企業・大学の研修講師として活躍。東京タクシーセンターで外国人旅客英語接遇研修を担当するほか、supercareer.jpで個人向け講座も

( SmartFLASH )

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