7月9日午後4時47分、都内の病院でジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川氏が亡くなった。死因は、解離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血だった。
事務所の発表によれば、ジャニー氏は「ときに危険な状態に陥ることもございましたが、タレント達が呼びかけ、体を摩(さす)るたびに危機を脱することができました。タレント達と過ごすことでジャニーの容体が一時的に回復するという奇跡的な出来事」が繰り返し起きたという。
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芸能界・テレビ業界に強い影響力を持ち続けてきたジャニー氏は、1931年(昭和6年)アメリカに生まれ、幼少期を日本で過ごすも、終戦後に再渡米。
高校時代はロサンゼルスで過ごしたが、当時、美空ひばりなど芸能人がロスの高野山ホールで公演したことをきっかけに、ショービジネスに興味を持ち始めた。
1962年に事務所を設立し、自らを「クリエーター」と呼び、すべてのジャニーズタレントを発掘し、育成し、デビューさせてきた。
かつて本誌に芸能関係者がこう明かしている。
「自薦、他薦で事務所には数多くの履歴書、写真が送られてきます。ジャニーさんは、それらすべてに必ず自分で目を通しました。他の人にはやらせない。かなりのスピードで写真の束をより分けて、その手がときに、はっと止まる。
あれが、なにか光るものを見つけたときなんでしょう。これはもう感性によるものとしか言いようがない。彼が世に出すスターは必ず女性に受ける」
そんなジャニー氏が、少年たちを判断する目は厳しかった。ジャニーズ事務所のオーディションを受けに来た少年を、独特のやり方で審査することもあった。
「少年たちがオーディションに行くと、そこには椅子が並べられていて、中年男性が部屋を片付けたり、飲み物を配ったりしている。
少年たちはお菓子を食べたり、漫画を読んだり、思い思いにオーディションが始まるのを待っているんです。
定刻を過ぎ、しびれを切らした少年が男性に『ジャニーさんはまだ来ないの? オーディションはいつ始まるの?』と聞くと、男性は『オーディションは終わった。ボクがジャニーだよ』と言うんだそうです。ジャニー氏は陰で手を抜いたり、嘘をついたりする人を嫌うんです」(芸能関係者)
ジャニー氏によるタレント発掘・育成のおかげで、ジャニーズ事務所は日本で知らぬ人がないほど大きくなった。
当然ジャニー社長個人の年収も巨額だ。かつて公開されていた資料によれば、1998年のジャニー氏の納税額は3億5666万円。その数字から、所得は10億6900万円と推定できる。
CD・DVDの販売や、ファンクラブ運営、グッズ販売、コンサートなどのチケット収入など、事務所やグループ企業で多大な利益をあげていることがわかる。
ジャニー氏は、1997年3月24日付の『AERA』で「ポスト・ジャニーは」という質問に対し、こう答えている。
「ジャニーが死んじゃったら、あとはないんじゃないかって言う人がいるの。マネジャーなしで、自分でやれる人間ばっかりなんですよ。まだ、ボクがいるから、遠慮してるとこ、あると思う。
ボクがいなかったら、それこそ大活躍できるんじゃないかなあ。だから、ボクが知らん顔して消えちゃったとしても、十分できますよ」
一時代を築いた男が亡くなった。享年87だった。