高視聴率が続くNHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』。大阪観光大学観光学研究所客員研究員の濱田浩一郎氏が、登場人物の行動から、「先を見る力」の鍛え方を指南する。
NHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』で高畑充希が演じる主人公・小橋常子は、『暮しの手帖』を創刊した大橋鎭子(1920〜2013)がモデルである。
小学5年生のときに父が肺結核で死去。小学生でありながら、父の葬式の喪主を務めている。母があえて一歩退き、長女である大橋を立てたからだという。母のこの方針が、大橋に度胸をつけ、一家(母や2人の妹)の大黒柱になる覚悟を根付かせたのだろう。
大橋は、日本興業銀行に勤めた後、日本読書新聞に。戦争が激しくなると新聞は発刊できなくなった。そして、敗戦の混乱期、コピーライターの花森安治(1911~1978)に出会った。ドラマでは唐沢寿明が演じている。
1946年、大橋は雑誌『スタイルブック』を創刊、1948年に、花森らとともに『美しい暮しの手帖』(後の『暮しの手帖』)の創刊に漕ぎつける。
その巻頭に、花森が次の一文を寄せた。
「これはあなたの手帖です いろいろのことが ここには書きつけてある この中の どれか 一つ二つは すぐ今日 あなたの暮らしに役立ち せめて どれか もう一つか二つは すぐに役に立たないように見えても やがて こころの底ふかく沈んで いつか あなたの暮らし方を変えてしまう そんなふうな これは あなたの暮らしの手帖です」
文体は優しいが、心に焼きつく文章だ。「すべて今すぐ役立つ!」と言い募るのではなく、いつか生活の役に立つと、やんわり書いているところが好ましい。
実は、こうした人を温かく包み込む文章からは想像できないほど、編集現場は過酷だったという。花森は仕事に対して妥協を許さず、いつも「いいかげんなことをするな」と大橋らを叱った。
白黒写真の時代なのに、どうしても赤の生地が欲しいと、東京中を探し回らせたこともある。
「白黒写真なのにどうして赤を探させたのですか」と問う大橋に、花森は「本当は何色でもかまわない。しかし、これから先、何年かたったら世の中はカラー時代になる。そのときになって編集者に色の感覚がなかったらどうする。そうなってからでは間に合わない」と答えた。
大橋を教育する意図だけにとどまらない含蓄ある言葉だ。適当に妥協するのではなく、時代の先を見越して、感性を磨いていくことで、独創性が養える。
言い換えれば、「こころの底ふかく沈んで」いたものが、いつかどうしようもないほど強く湧き上がったとき、新しい地平が見えてくる。
花森と言えば、敗戦直後から、おかっぱ頭にスカート(実際はキュロット)姿の女装で有名だ。
「雑誌を売るための販売戦略」「戦時中におこなった戦意高揚の仕事への贖罪」「制服や背広文化への反発」などなど、女装の理由については諸説ある。「女性向けの雑誌を編集するからには、少しでも女性に近づいて女性を理解したい」という思いもあっただろう。
しかし、大事なのは表面ではない。人間は、「こころの底ふかく沈んで」いたものからしか、大きな行動を起こせない。新たな地平が見えて、そこから世の中を変えていくためには、心の底に沈んだ「エネルギー」について理解することが大切なのだ。
(著者略歴)
濱田浩一郎(はまだ・こういちろう)
1983年生まれ、兵庫県相生市出身。歴史学者、作家、評論家。現在、大阪観光大学観光学研究所客員研究員。現代社会の諸問題に歴史学を援用し、解決策を提示する新進気鋭の研究者。著書に『日本史に学ぶリストラ回避術』『現代日本を操った黒幕たち』ほか多数