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AIがカラー化した白黒写真で「過去の記憶」が鮮明に【画像あり】
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2020.08.27 16:00 最終更新日:2020.08.28 13:19
「2010年に被爆者の証言や記録写真をまとめたデジタルアーカイブ『ナガサキ・アーカイブ』をリリースしました。その翌年には『ヒロシマ・アーカイブ』、その後も沖縄などの戦争の実相を伝えるアーカイブを公開してきました。
そのなかで、被爆者の証言についての反響は大きいのですが、苦労して場所を特定した写真にはあまり興味を持ってもらえない。なぜだろう、と悩んでいました」
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こう話すのは『AIとカラー化した写真でよみがえる 戦前・戦争』の著者で、東京大学大学院情報学環の渡邉英徳教授(45)。なんとか写真にも興味を持ってもらいたいと考えていた渡邉教授は、ある日、画期的な技術に出会う。白黒写真のカラー化である。
「当時(2016年)、早稲田大学理工学術院にいらした石川博先生、飯塚里志先生、シモセラ・エドガー先生らが開発された、AI(人工知能)技術を応用して、白黒写真を自動的にカラー化する手法でした。
WEBサービスで終戦直後の広島の写真をカラー化した瞬間、驚愕しました。まるで写っている人たちが動き出しそうな感があり、印象が激変した。そのときに、これまで戦争のアーカイブを作っていた僕自身が、自分とは関係ない過去の風景だと思っていたことに気付かされたのです」
その後、カラー化した戦時中の写真をツイッターに投稿すると大きな反響が。デジタルアーカイブの活動をさらに発展させられるのではないかと考えた。
渡邉教授は2014年から、毎年、広島市内の高校へ出向き、デジタルアーカイブの最新技術を教える講演会を開いていた。そこで、東京大学1年生の庭田杏珠さん(19)との出会いが待っていた。庭田さんが語る。
「じつは私、幼いころは平和学習が苦手だったんです。怖いというのもありましたし、広島の惨状が、自分がいま生きている世界とかけ離れている気がして、どうしても受け止めきれませんでした。
そして、小学校5年生のときに『平和記念公園めぐり』というパンフレットを目にしました。現在の平和記念公園は、戦前は中島地区という町だったんですが、被爆前の中島地区の地図に当時の日常風景の写真を載せたものと、現在の平和公園を比較しながら見ることができました。
ここに町並みがあって、映画館があって……と、今と同じような暮らしがあったんだと、はじめて気がついたんです。この平和な暮らしが原爆によって一瞬で奪われてしまったんだ……と。それからは、戦争体験者の想いを伝えていきたいと思うようになりました」
まだ小学生だった庭田さんは、本やテレビから必死に情報を集めた。そんなとき、渡邉教授が制作した「ヒロシマ・アーカイブ」を知る。そして、アーカイブを利用するだけではなく、作るほうにも携わりたいと思うようになり、被爆者の証言を収録する委員会にも入った。
庭田さんが高校に入学した2017年6月、渡邉教授の講演会に合わせて行われたワークョップが高校で開かれ、参加する。
「先生の講演会の1週間前に、偶然、濱井徳三さんと平和公園でお会いしました。『戦前ここは中島地区という、4400人が暮らす繁華街だったんだよ』とおっしゃって。濱井さんのお父様がその中島地区で理髪館を営んでいたそうで、『でも原爆で家族全員を失ったんだ』と。
もっとゆっくりお話を伺いたいと思い、証言収録をお願いしました。その後、渡邉先生のワークショップで、戦前の沖縄の写真をカラー化する取り組みを知り、色がつくとこんなにも身近に感じることができるんだと、驚きました」
庭田さんは2017年10月に濱井さんと再会。大切な写真が250枚ほど収められた大切なアルバムを持参した濱井さんは、白黒の写真を眺めながら「寂しい」と話した。
そんな姿を見て「カラー化した写真をプレゼントして、ご家族をいつも近くに感じてほしい」と思った庭田さんは、カラー化に取り組み始めた。
「庭田さんがカラー化した写真を濱井さんにお見せすると、戦前のたくさんの思い出がよみがえって、嬉しそうにお話をされる。その姿を広島のテレビ局から送られてきたDVDではじめて目にして、『記憶の解凍』という言葉がふっと浮かびました。
それまでカラー化することで、見た人の心が動くことには気がついていたのですが、その状態をうまく言い表せなかった。この言葉なんだ、と。それから2人での活動が始まりました」(渡邉教授)
2018年の春からスタートした「記憶の解凍」プロジェクト。2人は膨大な画像から色を学習させた3種類のAIを使い分け、写真に下色をつける。それから先は、写真提供者との対話と資料をもとに、手作業で色を加えていく。
「まず、AIで白黒写真をカラー化します。AIは自然物のカラー化が得意ですが、人工物は苦手で、不自然さが残ります。そこで、写真提供者との対話・SNSのコメント・資料などをもとに、手作業で色を補正していきます。
その過程において、さらなる対話が生まれます。人は白黒の写真だと、過去の凍りついたものという印象を抱き、身近なものとは考えにくい。
カラー化すると、“自分ごと” として捉えやすくなり、対話が促されるのです。つまり、カラー化そのものが僕たちの目的ではありません。カラー化を通して、写っているできごとについての記憶が人々の心のなかでよみがえり、そこから対話が生まれることを目指しています」(渡邉教授)
庭田さんは、大学では「平和教育の教育空間」について、研究を進めたいと話す。
「今まで戦争や平和について無関心だった人、私のように苦手意識があった人にも、自分ごととして捉えてもらう。身近に感じて想像してもらうことがカラー化する意義なのだと思います。
もうひとつは、カラー化と対話によりよみがえった、戦争体験者の記憶・想いを受け継ぐ。『もう誰にも同じ思いをさせてはならない』と、これからの平和を願う崇高な想いを、『記憶の色』を通して共感とともに社会へ拡げて伝えていく。これもカラー化する意義ではないかと思っています」
今年は戦後75年の節目でもある。「この本を今年出版できたことに意味がある」と、渡邉教授は話す。
「僕たちはいま、コロナ禍によって日常が突如として一変する体験をしています。それは戦争や原爆投下で、日常が突然失われるという状況に似ているように思います。
いまだからこそ、戦時中のことを身の回りに重ねて想像しやすいはずです。戦争を身近に感じながら、平和の大切さを、多くの方に考えてもらいたいと思っています」
わたなべひでのり
1974年大分県生まれ 東京大学大学院情報学環教授。情報デザインとデジタルアーカイブによる記憶の継承の研究を進める。「ヒロシマ・アーカイブ」などを制作
にわたあんじゅ
2001年広島県生まれ 東京大学に在学し「平和教育の教育空間」について実践と研究を進める。「国際理解・国際協力のための高校生の主張コンクール」外務大臣賞(2019)などを受賞