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【4月14日の話】ライオンズ黄金期を支えた西武球場が完成…当時の前衛的なアイデアとは
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2021.04.14 06:00 最終更新日:2021.04.14 06:00
1979年4月14日、埼玉県所沢市に西武球場が開場した。西武球場の歴史は、プロ野球・埼玉西武ライオンズの歴史そのものである。
西武ライオンズの前身である「クラウンライターライオンズ」は、福岡県を拠点に活動していた。しかし、チームの低迷と経営難により、当時の運営会社はチームを手放すことを決意。
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そこで白羽の矢が立ったのが、社会人野球チームの設立など、球界参入に積極的だった「西武鉄道グループ」の一角、「国土計画」だった。
買収により「西武ライオンズ」として再出発を果たしたチームの本拠地は、当時、改築中だった西武園球場に決まった。1979年、工事終了後に名前を「西武球場」と変え、ここから西武ライオンズの歴史が始まる。
当時、西武球場の設計アドバイザーを務めたアマチュア野球指導者の石山建一さんが本誌の取材に応じてくれた。
「西武鉄道は、西武園球場を貸し球場にする予定だったんです。でも、貸し球場といっても、自分のチームを持ってないとお客さんが入らないじゃないですか。それで急遽、クラウンライターライオンズを買って、西武ライオンズを作ったわけですよ」
西武球場をつくるにあたり、お客さんにとってなにが快適かを考えたという。
「改築前の西武園球場は、センターの位置にホームベースがあったんです。ぼくは向きを逆にしちゃおうと考えたんですね。そうすると、内野スタンドからユネスコ村(当時所沢市にあった遊園地)とか秩父の山が見えて、景色がよくなるんです」(石山さん)
当時、非常に前衛的なアイデアだったのが、ネット裏のラウンジだ。
「これから、もっと多くの人たちが野球を観るようになると考えていました。なので、食事しながら観戦できたほうがいいと思ったんです。それで出来たのが、ネット裏のラウンジです。
あの頃はどの球場にもラウンジなんてなかったんです。昼間は西武園でゴルフして、夜は奧さんと一緒に球場に来て、食事しながらナイターを観る。そんなラウンジを作ったんですね」
当時の西武球場の魅力が伺える、こんなエピソードも。
「アメリカのオールスターチームが日米野球で来日したとき、『ワンダフルな球場だ!』『アメリカにもこんな綺麗な球場はない』と大リーガーの選手が言っていて、嬉しかったです」(石山さん)
西武ライオンズは、1982年に初のリーグ優勝を果たすと、黄金期に突入。1986年から、清原和博、石毛宏典、伊東勤ら強力な打撃陣に加え、工藤公康、渡辺久信、東尾修ら盤石の投手陣のもと、9シーズンで8度のリーグ優勝と6度の日本一を達成。
常勝軍団の活躍とともに、西武球場は進化を遂げていく。1997年には、「環境共生型球場」をコンセプトに西武球場のドーム化に着手。2017年に「メットライフドーム」と名前が変わった。
2021年3月、およそ3年かかった改修工事が完了。子供たちが楽しめる遊戯施設、選手と近い距離で試合を楽しめるプレミアムエキサイトシート、12球団最多となる1000種類以上の「球場グルメ」を味わえるフードコーナーなどができ、多くの人々に愛される球場に進化した。