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【4月19日の話】国民栄誉賞を受賞した植村直己「毎日会社に行くことだって冒険だ」

社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2021.04.19 06:00 最終更新日:2021.04.19 06:00

【4月19日の話】国民栄誉賞を受賞した植村直己「毎日会社に行くことだって冒険だ」

1961年の合宿(前列左から2番めが植村、3番めが廣江さん)

 

 1984年4月19日、冒険家である植村直己が、「世界五大陸最高峰登頂などの功」によって国民栄誉賞を受賞した。世界で初めて冬季のマッキンリー(現・デナリ)単独登頂を果たし、直後に消息を絶ってから、約2カ月後のことだった。

 

 明治大学山岳部に入ったことから、植村の冒険人生が始まる。卒業後は世界各地を旅し、モンブランにキリマンジャロ、エベレストなど、最高峰の山々に一人で登った。日本列島を徒歩で縦断したかと思えば、北極圏の1万2000kmを犬ぞりで一人駆けていく。

 

 

 植村の出身地・兵庫県豊岡市にある植村直己冒険館館長の吉谷信奉さんは、植村の冒険の特徴をこう分析する。

 

「ひとつは、一人ですべてをこなす『単独行』です。植村さんは『一人でやることが、人間の原点だ。チームで行動していても、個々があらゆる行動の源になる』と語っています。集団行動を否定しているわけではなく、結局、個人が頑張ることが一番大事、ということですね。これは、単独で行動される冒険家の方であれば、誰しも思っておられることでしょう。

 

 もうひとつ、現地の人や自然に学ぶ『共生型行動』こそ、植村さんの特徴だと思います。人々がその土地で作り上げた暮らしぶりのなかに、冒険を成功させる秘訣がある、という考え方です」

 

 1972年、グリーンランドの犬ぞり3000km往復を一人で成功させる前に、現地に住んで人々と共同生活を送ったことはよく知られている。植村はここで犬ぞりの操縦法や、極寒の地で生きるための知恵を学んだ。

 

「ある人が、『植村さんの偉大さは、そこで生活する人々の生活から学び、彼らを尊敬できる豊かな心を持っていることだ』と私に話してくれましたが、本当にそうだと思います。その土地の自然に順応することを、徹底的に重視されていました。冒険家の大場満郎さんが極地に行かれるときも、植村さんは『日本の高品質の装備を持っていかない方がいいよ。何も持っていかず、現地のものを使うといい』とアドバイスしたそうです」(吉谷さん)

 

 吉谷さんが、植村にゆかりのある人たちに会うと、誰もが口をそろえて「気遣いの人」と話すという。植村は、いったいどのような人柄だったのか。

 

 植村と、明治大学山岳部で同期だった廣江研さんは、こう語る。

 

「クソ真面目で、本当の努力家だったな。大学時代、新歓合宿で白馬岳に登ったときは一番最初にバテて、顔がパンパンになるまで先輩たちに殴られていたけど、そこから猛烈に体力づくりをしたみたいでね。次に上高地に登ったときは余裕のある顔をしていたな。あいつとはいろんな山を一緒に登ったけど、それ以来バテた姿を一回も見たことがなかった。

 

 いつもニコニコ穏やかで、自分の努力している姿は絶対に他人に見せなかった。でも負けず嫌いで、腹の中ではいつも何かが燃えてたんだろうと思うよ。(植村の奥さんの)公子さんからは、『家ではあれが悔しかった、これが悔しかっただのいろいろ言ってたわよ』なんて話も聞いたな(笑)。

 

 それに、優しい男だったよ。長い期間山に入るときは、食料やらテントやらを詰め込んだ60kgぐらいの荷物を背負わないといけないんだけど、植村は『いいよ、俺が持つよ』って、他人の荷物まで進んで持ってやった。

 

 世間でどれだけ騒がれるようになっても、『俺は劣等生だよ』なんて言っていた。『みんな、俺のことをすごい冒険家だって言ってくれるけど、毎日会社に行って働くことだって冒険だと思うんだ。みんな冒険家なんだよ。俺にはこれしかなかっただけなんだ』って。そういう奴なんだよ」

 

 廣江さんは、植村がマッキンリーで消息を絶ったときも、現地まで捜索に向かっている。

 

「『(マッキンリーに)登ったらしいわよ』って公子さんから聞いたとき、どうもなんかね……。ふだん、俺はそんなこと言わないんだけど、『おお、そうか。でも、山ってのは降りてなんぼだからな』って話したのを覚えている。そうしたら、行方がわからないってニュースが流れたんだ。

 

 山岳部OBでの捜索は2回やった。1回目は、まだ生きているかもしれない植村を探すことが目的で、時間との勝負だったから、東京にいるメンバーだけがサッと集まって現地に行った。俺は地方にいたから、そのときは行けなかったんだ。

 

 4月下旬の、雪も解け始めていた頃に、2回目の捜索に向かった。6人で行って、1カ月ぐらい滞在したかな。そのときは、『どうやって連れて帰るか』なんて話もしてね。ずいぶん探したけど、結局見つけてやれなかった。頂上に植村が立てた日の丸や荷物なんかを持って帰ったよ」

 

 植村の死が報じられてから、4月に国民栄誉賞が贈られ、6月にグリーンランド南端の山が「植村峰(ヌナタック・ウエムラ)」と改称されるなど、偉業を称える動きが続いていた。故郷の豊岡市では1996年から「植村直己冒険賞」が設けられ、自然を相手に創造的な冒険をした日本人に、毎年賞が贈られている。

 

 最後に、冒険館館長・吉谷さんから、いまを生きる人たちへのエールをもらった。

 

「現代の日本人たちは、ゴール地点が見えないと動けない人が多くて、チャレンジ精神がない人が多い印象です。でも、それは周りが悪いと思うんですよ。社会全体の空気が、数字重視の結果主義になりつつあるでしょう。

 

 いまを生きる若い人たちに伝えたい、私が好きな植村さんの言葉があるんです。『人の生きる本当の価値は、お金や肩書ではなくて、夢を追いかけて精一杯生きることにある』。結果よりも、プロセスが大切だということです。

 

 一生懸命にプロセスを踏んで頑張れば、たとえ失敗しても、その過程で次の目標が見つかりますから。そんな植村スピリットを伝えるために、植村直己冒険館をずっと残していきたいですね」

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