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両国が相撲の聖地に…完成した国技館はたびたび焼失の憂き目に/5月31日の話

社会・政治 投稿日:2021.05.31 10:00FLASH編集部

両国が相撲の聖地に…完成した国技館はたびたび焼失の憂き目に/5月31日の話

初代国技館

 

 1909年(明治42年)5月31日、両国にある寺院・回向院の境内に、初代両国国技館が完成した。江戸時代から相撲は盛んにおこなわれていたが、常設の相撲場が設置されたのはこれが初めてとなる。

 

 回向院に初代国技館が設置された経緯について、住職である本多将敬さんがこう語る。

 

 

「江戸時代の相撲は、おもに公共事業の資金集めをするため、勧進相撲興行の形を取っていました。さまざまな場所で仮小屋を建てて開催したようですが、1768年に初めて回向院境内で相撲がおこなわれて以来、頻繁に利用されるようになったのです。1909年に国技館が完成するまでは、『回向院相撲の時代』と言われていました」

 

 特徴的な屋根の形から「大鉄傘」との愛称で親しまれた国技館だが、焼失と再建をくり返す。1917年には、売店から出火し全焼。その後も関東大震災、東京大空襲で焼け落ちながら再建されるが、戦後はGHQに接収され、1946年、「メモリアルホール」として改装されてしまう。

 

 この場所で相撲が開催されるのは、メモリアルホールのこけら落としとしてが最後で、その後は蔵前国技館に移った。1985年に現在の2代目両国国技館が完成し、相撲は再び両国の地に戻ることになる。

 

 なお、旧国技館は国際スタジアム、日本大学講堂と所属を変えながら、1983年に老朽化で解体された。1909年に建てられてから解体されるまで、大鉄傘の姿はずっと維持されていた。

 

 いまでも、回向院には相撲関係者がよく訪れるという。

 

「行司など相撲関係者の方々のお墓も多く、相撲協会さんが歴代相撲年寄の慰霊に立てた力塚の碑も境内にあり、いまだにお相撲さんたちがお参りに来てくださいます。いまも当院と相撲のつながりは深いのです」

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