望月「独房ではどんなものを食べていたんですか?」
北角「ミャンマー料理です。白米と2種類のカレーが基本で、なすのカレーやかぼちゃのカレー、空心菜の炒め物、それに冬瓜のスープ。3食そんな感じです。週に2回くらいは、肉や魚も出ました。野菜は受刑者たちが敷地内で栽培しているので、新鮮でしたね。食事が唯一の楽しみで、とても美味しかったです」
望月「一人でいるときは、本を読んだり音楽を聴いたりできるんですか?」
北角「入って2~3週間後に、大使館の方が日本語の本を差し入れてくれました。『天気の子』、『東京輪舞』、それに分厚い世界史の本とか」
望月「いつ出られるかわからなかったわけで、精神的に参りませんでしたか?」
北角「入った当初は、やっぱりネガティブなことばかり考えていました。独房にいると、外から音楽が聞こえてくるんですよ。死刑囚はラジカセを持つことを許されていて、彼らが音楽を流していた。ポップな洋楽だったりするんですが、それを聴いたときは、刑務所がわざと流行りの音楽をかけて、私たちの心をかき乱そうとしているのではないかと考えたほど。
とくに、入った当初は自分の関係者も逮捕されたんじゃないかと心配でしたから、どうしてもネガティブになってしまいましたね。政治犯の人たちと話をするようになって、だんだん精神を正常に保てるようになったんです」
望月「取調べでは暴力を振るわれなかったんですか?」
北角「最初のころ、机をバーンと叩いて『外国人がこの国で好き勝手できると思うな』『お前を刑務所に入れることができるんだぞ』と脅されましたね。殴られるなどの拷問は、私に関してはありませんでした。ただ、ほかの政治犯の話を聞くと、明らかな拷問もあったようです」
望月「ほかの政治犯は、拷問を受けていたんですか?」
北角「僕の知る限り、多くの人はインセイン刑務所に連れて来られる前に、軍の施設に収容されているんです。そこで、厳しい尋問や拷問を受ける人が多かったようです。目隠しをされて後ろ手に手錠をかけられ、コンクリートの床にひざまずかされて、その体勢のまま、3日間、寝ることも許されない。そして、尋問に否定的な答えをしたり、倒れたりすると殴られるんです」
もちづきいそこ
1975年生まれ 東京都出身 慶應義塾大学卒業後、東京・中日新聞入社。千葉、横浜支局を経て、東京本社社会部で遊軍
きたずみゆうき
1975年生まれ 東京都出身 早稲田大学卒業後、伊藤忠商事、日本経済新聞記者を経てミャンマーに渡り、フリージャーナリストとして現地メディアなどで活躍
(週刊FLASH 2021年6月22日号)