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山本五十六の長男が語る「真珠湾攻撃」暗号戦争の真実

社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2016.12.26 20:00 最終更新日:2016.12.26 20:00

山本五十六の長男が語る「真珠湾攻撃」暗号戦争の真実

『山本五十六生前最後の姿』

 

■アメリカは日本軍の意図をどこまで知っていたのか?

 

 山本五十六は、若いころ、ハーバード大学に留学し、その後も条約の締結などでたびたびアメリカを訪問している。その際、アメリカの油田や自動車産業、飛行機産業などの実態をくまなく見ており、日米戦が無謀であることを明確にわかっていた。

 

 そのため、最後まで開戦に反対し、「戦争には十二分の自信があるが、平和に勝るものはないからね」と常々語っていた。

 

 だが、最後まで開戦に反対しながら、五十六は連合艦隊のトップとして真珠湾攻撃の指揮を執ることになる。もしアメリカが海軍の暗号を解読していたなら、残念ながら、五十六はアメリカの手のひらで踊らされていたことになる。いったい、アメリカは日本側の意図をどこまで知っていたのだろうか?

 

「私が調べた限り、日本に開戦の意図があることや、日本が攻撃するとしたら太平洋艦隊だろうとアメリカが予想していたのは確かですが、その場所がどこなのか、開戦当初の段階で真珠湾だとは特定できていません。ハワイは防護も堅いし、日本軍にそんな攻撃力はないだろうとアメリカは思っていたはずです」(原氏)

 

 真珠湾攻撃を立案したのは五十六である。

 

 五十六は開戦前、「連合艦隊は必ず勝たねばならない。必勝の確信が得られるまで、安眠できない」と言っていたが、まもなく「確信を得た」と近しい人間に漏らしている。この確信こそ、アメリカにとって想定外の「真珠湾攻撃」だったのだ。

 

 だが、すべてではないにしても、多くの暗号が解読されている限り、日本に勝ち目はない。それが最もハッキリ表われたのが、1942年6月のミッドウェー海戦だった。

 

 真珠湾攻撃以来、連合艦隊はソロモン諸島沖、インド洋などで連戦連勝を続けていた。だが、ミッドウェー海戦は米軍によって完全に暗号が解読されていた。

 

 こうして日本海軍は主力空母4隻と艦載機を一挙に喪失する大損害を被り、これ以降、戦争における主導権を失うことになる。

 

 その1年後の1943年(昭和18年)4月18日、遂に山本五十六長官の最期の日がやってくる。当時、日本海軍はソロモン諸島、ニューギニア方面の敵を攻撃する「い」号作戦を展開中だった。

 

 その日、五十六はゼロ戦6機に護衛され、前線へ視察に出た。ブーゲンビル島の上空まで来ると、突如として米軍機が現われ、撃墜されてしまうのだ。

 

 原氏は、このときのアメリカ側の作戦資料も発見している。とくに貴重なのが、「山本提督の死」と英文で書かれた地図である。これは米海軍が五十六の搭乗機を撃墜するために作った当時の作戦マップそのものなのだ。

 

 原氏は、この地図とともに、ある2通のカードも発見している。

 

「カードには、五十六が戦死する直前の日付で、巡視日程などが詳細に書かれています。さらに『暗号2電の内容が完全に一致、これが長官の死刑執行状となった』とも書かれていました」

 

■のんきに情報漏洩を続けた日本海軍

 

 史料からわかったことは、アメリカの情報力だけではなかった。同時に日本海軍の情報に対する信じがたい無防備さも露呈した。

 

「日本海軍は、作戦指示など重要な通信には最も解読が難しい『戦略暗号』を使用していました。4月13日の電文には『波一乱数表第2号』という乱数表が使われているのですが、これは2月14日までしか使ってはいけないものなんです。

 

 つまり、海軍は本来破棄すべき乱数表を2カ月たっても使いつづけていた。しかも14日付の電報は簡単な暗号を使って、山本長官の実名を打電していました」

 

 海軍は米軍が絶対に暗号を解読できないと信じ込み、平気で情報漏洩していたのだ。これで勝てるはずもない。

 

 五十六の戦死については、全軍の士気に大きな影響を与えると危惧され、遺骨が東京に到着した5月21日まで完全に伏せられた。そして、6月5日に国葬がおこなわれた。享年59。

 

 長男・義正氏が、父・五十六は「子煩悩だった」と振り返る。

 

「父が駐米大使館付武官としてワシントンにいたとき、私と妹あてにクリスマスカードをくれたことがあります。トナカイに引かれたソリに、白いひげのサンタクロースが乗っていて、そのサンタの前に、男の子と女の子がチョコンと乗っている。そこに私と妹の名前が書いてありました。私が赤ん坊のころは、よくオシメを取り替えてくれたそうです」

 

 子煩悩で平和主義者だった山本五十六。だが、死後1周年に公表された五十六の「最後の言葉」には、兵士を鼓舞すべく「敵陣深く切り込みて日本男児の血を見せむ」といった勇猛な言葉が書かれていた。五十六は死してなお、軍に利用されたのだ。

(週刊FLASH 2012年1月3日号)

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