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国内だけで1935万台…ファミコンが変えたゲームの世界/7月15日の話
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2021.07.15 11:00 最終更新日:2021.07.15 11:00
1983年7月15日、任天堂から家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」が発売された。
日本で初めて発売された家庭用テレビゲームは、1975年にエポック社から出た「テレビテニス」だ。それから8年ほどでファミコンが世に出たことになる。
当時ゲーム機を販売している会社は、エポック社やバンダイなど10社近く存在していたが、ファミコンが絶大な人気を誇るようになったのはなぜなのか。
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任天堂研究家の山崎功さんがこう語る。
「それまでの家庭用ゲーム機は、キャラの動きがぎこちなく、音も1種類だけだったりと、さびしい感じでした。また、ゲーセンにあるアーケードゲームの流れを汲んでいることから、コントローラーはジョイスティックが主流でした。これは、家庭で使うには、操作性が微妙ですよね。
ファミコンは、当時としては、映像や音楽などの性能が圧倒的に優れていました。コントローラーは家庭用に適した十字タイプで、いちいち手元を見なくても操作できます。その上、標準で2個のコントローラーがついてきますから、友達とワイワイ遊ぶことができました。
とはいえ、最も優れていたのはゲーム自体の内容です。任天堂は長らくおもちゃやアーケードゲームをつくってきた会社ですから、ゲームの楽しさをよく知っているんです。
1985年には『スーパーマリオブラザーズ』が発売されるのですが、あの世界観は衝撃的でした。それまでのゲームは一画面に固定されていましたが、スーパーマリオは右側に画面をスクロールさせることで、世界が広がる感覚がありました。
動きの自由さも魅力です。ジャンプしたり泳いだり、キノコで大きくなったりと、いろいろなアクションができます。自由自在にゲームの世界を冒険できる感覚にワクワクさせられました。バグも『隠し技』とポジティブに捉えられて、子供たちの間で大流行したのです」
ファミコンは発売当初から子供たちをとりこにしたが、『スーパーマリオブラザーズ』で社会的な認知度が急上昇。そして1986年にRPGゲーム『ドラゴンクエスト』が発売されると、徐々に社会現象になっていく。
「『ドラゴンクエスト』のようなRPGは、家庭用ゲーム機にはほぼなかったので、実は1作めは後のシリーズと比較してそこまで人気だったわけではありません。爆発的に売れたのは2作めからです。週刊少年ジャンプとタイアップする形で発売前からずっと情報が出ていましたし、口コミで徐々に面白さが広まっていましたから。
1987年に3作めが発売されたときはお祭り騒ぎでした。徹夜でお店に並ぶ人たちや、学校をサボって行列に並ぶ小学生もいました。無事に買えた帰り道、中高生からカツアゲされて奪われるようなことも起き、ニュースとなって騒がれるのです」
「一家に一台」と評されるほどの普及を見せたファミコンだが、1990年に新型機である「スーパーファミコン」が登場し、ゆっくりと市場が縮小していく。
1994年に発売された『高橋名人の冒険島IV』を最後にソフトの発売は終了し、ついに2003年に生産終了。最終的には、日本国内だけで累計1935万台という驚異的な記録を残した。
最後に、山崎さんが最も好きだったファミコンのソフトを、一つあげてもらった。
「本当にたくさんありますが、強いてあげるとすれば、初めて2人同時プレイができるようになった『マリオブラザーズ』でしょうか。それまでは交替しながらプレイしなければいけなかったのですが、マリオブラザーズからは友達と一緒に遊べるようになりました。友達と協力したり、邪魔したりするのが、ものすごく楽しかった。
僕は、ファミコンは横並びで遊ぶのが最高だと思っています。友達と並んで、お互いの表情を見ながら一緒にプレイするのが楽しい。任天堂は、友達や家族とみんなでワイワイ遊べることを非常に大事にしているメーカーです。だからいまでも、任天堂が出すゲーム機には、コントローラーが2個ついてくることがほとんどなんですよ」
写真・朝日新聞