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“無免許”木下富美子都議、博報堂時代も上司に逆ギレ「そんな細かいことはいいじゃない!」
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2021.07.25 08:00 最終更新日:2021.07.25 08:00
「入社当初は営業に配属されました。愛嬌があり、声も大きく元気なので、よく可愛がられていましたよ」
東京都議会議員選挙で「都民ファーストの会」から出馬し(現在は除名処分)、2度めの当選を果たした木下富美子都議。免許停止期間中の7月2日、車を運転して人身事故を起こしていたことが発覚し、7月23日、都議会で辞職勧告決議が提出され、全会一致で可決された。
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冒頭の言葉は、木下都議が大手広告代理店・博報堂に勤務していたころの姿をよく知る関係者・Aさんのものだ。政治家にあるまじき問題行動を起こした木下都議だが、東京外国語大学を卒業し、1990年に入社した博報堂での評判はよかったという。
「まだ男女雇用機会均等法が施行されてからそれほどたっておらず、それまで総合職で女性を採ってこなかった博報堂では、風当たりが強いこともあったと思いますが、よく仕事をしていました」(Aさん、以下同)
当時は男社会だった博報堂のなかで受け入れられる一方で、同性からの支持もあった。
「香川県への転勤を経て、入社10年めの1999年、シングルマザーとして育休から復帰。女性のあいだでも、進歩的な考えを持った人物だと、目標のような存在に思われていたこともありましたよ」
一方、優秀であるがゆえ、Aさんには傲慢だと感じられることもあったという。
「脇が甘いというか、優秀ではあるのですが、仕事中もミスや抜けが多かったですね。私がミスを注意すると、『そんな細かいことはいいじゃないですか』と言っていたのを思い出してしまいます。もう少し謙虚であってくれれば、と何度思ったことか」
2003年のクールビズキャンペーンで、当時環境大臣だった小池百合子都知事と出会い、一時は「小池都知事の “懐刀”」とまで言われた木下都議。道路交通法も “細かいこと” と考えていたのだろうか。