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情報提供者には100万円…日本初の懸賞金で警察の電話がパンク寸前/8月19日の話

社会・政治 投稿日:2021.08.19 11:00FLASH編集部

情報提供者には100万円…日本初の懸賞金で警察の電話がパンク寸前/8月19日の話

懸賞立て看板

 

 愛媛県松山市で起きたホステス殺人事件の時効が1年後に迫った1996年8月19日、愛媛県警は日本初の試みとして、犯人の情報提供者に懸賞金100万円を出すと発表した。

 

 事件が起きたのは、1982年のことだ。松山市でホステスをしており、数日行方不明だった女性の遺体が、山中から発見された。女性のマンションからは、家財や衣類、貴金属などが大量に盗み取られていた。殺人と死体遺棄の罪で、元同僚のホステスだった福田和子が全国指名手配された。

 

 

 福田は逃亡後、石川県で偽名を使い、スナックで働くようになる。捜査から逃れるため整形を繰り返し、一重で優し気な顔立ちから、二重で鼻筋の通った顔に変わっていた。石川で和菓子屋店主の内縁の妻となり、女将として働いた時期もある。店主の家族が素性を怪しんで通報するも、感づいた福田が自転車で逃げ切るという、ドラマのようなシーンもあった。

 

 こうして約15年間、福田は顔を変え、素性を変えての逃走劇を繰り広げていく。

 

 歴史学者の濱田浩一郎さんが、こう語る。

 

「この事件で警察は、手配写真入りのテレホンカードを配布したり、日本初の懸賞金100万円以上をかけたりと、前例のない捜査手法を実行しています。時効直前には、整形をほどこした病院にも400万円の賞金を出すと発表されましたから、総額500万円の懸賞金が福田にかかったのです。懸賞の発表後は、県警の電話がパンクしかねないほどの電話があったそうですね。

 

 ワイドショーでも『7つの顔を持つ女』として、たびたび事件の内容が取り上げられました。福田が知人にかけた『楽しみにしとるんでしょうが、私が捕まるのを。そんなドジはしない。切るよ。危ない危ない……』といった電話の肉声も公開されています。

 

 結局、当時福田がよく通っていたおでん屋から通報があり、1997年7月に福田は逮捕されたのです。あと21日で時効、というギリギリのタイミングでした」

 

 7月29日、おでん屋を出た先で逮捕された福田は、福井駅から岡山駅まで鉄道で移送された。車両には報道陣が乗り込み、ジャンパーで顔を覆いながら号泣する福田の姿を映すなど、大変な騒ぎとなった。

 

 2003年に無期懲役が確定したが、2005年に和歌山刑務所で脳梗塞により息を引き取った。57歳だった。

 

写真・朝日新聞

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