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日本初の缶ビール、「開けにくい」「飲みにくい」と不評だったワケ/8月26日の話
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2021.08.26 11:15 最終更新日:2021.08.26 11:15
1958年8月26日、朝日麦酒(現・アサヒビール)が日本初の缶ビール「アサヒゴールド」を発表した。350mlで価格は75円だった。
日本でビールが飲まれるようになったのは、明治時代からだ。初期はビール瓶さえも高価な輸入品を使用していたが、品川硝子製造所が国産化に成功。庶民でも手が届きやすい価格になり、瓶ビールの時代が長く続くことになる。
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歴史学者の濱田浩一郎さんが、こう語る。
「缶ビールが初めて製造されたのは、1935年のアメリカでした。今の缶ビールとは少し形が違い、缶の上部が細くなり、王冠で栓がされたものになっていたのです。当時、日本の大日本麦酒(現・アサヒビール)でも缶ビールの研究をしていたのですが、缶や内面塗料による異臭が強く、品質的に問題が出てくるとして、一度断念します。
次第に日本は戦争に巻き込まれ、研究どころではなくなっていきました。戦後ついに研究を再開したものの、瓶ビールと同じ品質の缶ビールをつくりあげるまで、約9年もの歳月がかかっています」
1958年に発表された缶ビールは、現在のようなプルトップ式ではなかった。専用の缶切りで三角の穴を2カ所あけ、そのまま飲む形だった。アサヒビールに続いてサッポロビールやキリンビールなど、各社から続々と缶ビールが発売されたが、当時はスチール製だったこともあり「開けにくい」「飲みにくい」と不評だった。
「プルトップ式が登場したのは、1965年からです。1971年には、つまみに指をかけて、より開けやすくなったリングプルトップ缶が発売され、ほぼ現在の形に近づきました。
当時はまだまだ瓶ビールの方が主流でしたが、1970年頃から、自動販売機の設置が本格的に始まります。容器が開けやすく改良されたこともあり、缶ビールの消費量はどんどん高まっていきました」
つい最近も、自宅で生ビールが味わえるという触れ込みの「スーパードライ生ジョッキ缶」が発売された。プルトップを開けると、缶の上面が全開し、表面の泡を楽しめるつくりになっている。あまりの人気に一時休売となり、年内は月1で発売していくという。缶ビールの進化は止まらないのだ。